貴殿のふとした疑問に答えるブログ

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石工集団、穴太衆ってどんな人なの?

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皆さん、穴太衆ってご存知ですか?歴史好きの方なら聞いたことのあるかもしれませんね。穴太衆の読み方ですが、「あのうしゅう」です。あなぶとじゃないんですね。

 

穴太衆は安土桃山時代に活躍した石工の集団です。安土桃山時代というのは織田信長や豊臣秀吉などが生きていた時代になります。穴太衆は主に寺院や城郭などの石垣の施工を行った技術者集団で、近江の国(現在の滋賀県)で活躍していました。

 

今みたいにコンクリートの無い時代です。石というのは建築を行なう上で大事な材料でした。その石材を上手に加工し用いることができた職人さんはとても貴重な存在でした。穴太衆は高い技術を買われて安土城の石垣を任され、それにより彼らの高い技術が他の大名たちの噂となり、豊臣秀吉や徳川家康にも重宝されていきました。

 

穴太衆は「野面積」「玉石積」「切石積」などいろいろな石垣を作ることができましたが、彼らを有名にしたのは「野面積」の技術力の高さでした。では野面積とは何でしょうか。

 

野面積とは
自然石をそのまま積み上げる方法である。加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていない。そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点があったが排水性に優れており頑丈である。技術的に初期の石積法で、鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは16世紀の戦国時代のことである。
引用:wikipeda

 

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野面積では色々な石が用いられていて大きい石もあれば小さい石もあります。ほとんど加工していません。計算して石を配置しているんでしょうが、見た目はあまり頑丈には見えませんよね(実際はかなりの強度があります)。日本は地震国ですし、台風も毎年のようにやってきますが、その中で何百年も城を支え続けているんですから本当に関心してしまいます。

 

実はこの技術、現代にも継承されているんです。現在唯一残る穴太衆である粟田建設さんは、継承した技術をもって安土城、竹田城、岩国城(山口県)、高知城(高知県)といった城の石垣修復などを行なっています。地震で倒壊した熊本城の石垣の修復にも携わっています。

 

面白いエピソードとして、新名神高速道路の擁壁の一部にも粟田建設さんが施工した野面積が採用されています。コンクリートブロックと野面積とで強度の実験が行われ、コンクリートブロックよりも頑丈であることが分かりました。現代において穴太衆の技術力の高さが立証されたわけですね。

 

石垣があることで、城の防御力は何倍にも増してゆきます。石垣があることで建物の高さも出せることから大名の権威を示すこともできます。当時の大名たちにとって城はとても大事なものでしたから、穴太衆のような石工集団は当時とても貴重な存在だったに違いありません。その技術が現代にも生かされていることはうれしい限りです。皆さんも石垣を見る機会があったら、ぜひ穴太衆のことを思い出してみてください。

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