ふと地図を見ていて疑問に思ったのですが、青森県と北海道の間にある海に津軽海峡と書いてあります。これは誰もが知っている名称ですが、なぜ青森県側の「津軽」の名前になっているのでしょうか。函館海峡や松前海峡でもよさそうです。または青森県は津軽半島の他に下北半島もありますので下北海峡でもいいような気がします。
その他の事例としては、なぜ鳴門水道ではなく紀伊水道なのか。また伊予水道ではなく豊後水道なのか。千葉湾や神奈川湾ではなく東京湾なのか。などいろいろあります。
もしかしたら自分が住んでいる側の地名を採用されなかったので不満を感じる人もいるかも知れません。しかし広域の地名でみんなが納得できる名称を付けるのは出来ないでしょう。ちなみに関門海峡は下関と門司の両方から一文字取っているので双方にとって納得のいく名称です。
もしそれぞれの地名を合わせて採用していたら名称が長くなってしまい不便に感じてしまうでしょう。海の地名と違うかもしれませんが、新幹線の駅で「新青森北斗」「奥津軽いまべつ」「黒部宇奈月温泉」などの駅名があります。2つの地名をくっつけると長いという感覚を持つのではないでしょうか。地元の人たちにとっては自分の住んでいる場所の名前が付くことは大事なことですが…。
では、津軽海峡などの広域の名称はどのように決められたのでしょうか?
明治時代以降、自国の領土・領海と見なした場所の測量を行ない、そして地名を付けて諸外国に対し自国の領土・領海であることを主張していく必要性が出ました。加えて、統一した地名を付けないと海上防衛や海上警備も難しくなります。緻密な作戦を立てるのも容易ではなくなります。
そのため、明治時代の陸海軍が測量した陸地・海域に正式名称を細かく決めていきました。それまではバラバラに呼んでいた名称を、軍によって統一名称が定められていったのです。軍が決めたとあれば人々は歯向かうことは出来ませんよね。それが定着していったのです。
100年以上前から使用されている名称ですので、私達も疑問に思うことなく当たり前のように使っています。学校教育でそれらの地名を習いますし、地図にも書かれています。もし、今から津軽海峡を函館海峡に変えるとなると、教科書や地図などすべて変えなければいけなくなりますので、そんな大変なことは国もしないでしょう。
もし最初に津軽海峡ではなく函館海峡という名称を採用していたら、石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」は「函館海峡冬景色」になっていたのかもしれませんね。