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なんで東名自動車道は東海道線のようなルートじゃないの?

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写真はwikipediaから引用

 

先日、東京方面から静岡県の掛川まで東名自動車道を利用しました。神奈川県の大井松田インターを過ぎたあたりから、急に坂を上っているなと感じました。その後御殿場あたりまで走ると緩やかに坂を下っていきました。今まで地図上では分からなかった勾配というものを走っていて感じることができました。

 

しかしその後地図を見ていて「なんで東名自動車道は箱根の山を迂回するようなルートで、東海道線のように熱海から三島に抜けるルートではないのだろうか」という疑問が浮かびました。ということで、今回はその点を調べてみました。

 

現在の東海道線は横浜、平塚、小田原を走り、熱海に着いたのちに、内陸に入り丹那トンネルを抜けて三島や沼津に行きます。対して東名自動車道(以後東名)は世田谷区を起点として川崎市や大和市、厚木市や松田町、御殿場市を抜けて沼津市にたどり着きます。東名は鉄道で言えば東急田園都市線と小田急小田原線、そしてJR御殿場線のルートに似ていると言えるでしょう。沼津からはだいたい東名と東海道線は並走しています。

 

地図を見ると、箱根の山を境に北まわりを東名が、南まわりを東海道線が通っているのが分かります。なぜ東名は厚木あたりから小田原に向かい熱海ルートを選択しなかったのでしょうか。

 

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小田原から熱海は山と海に挟まれた地形です。特に熱海は山の急斜面が直接海に落ち込むような地形なので平地がほとんどありません。それゆえ高速道路を作るには土地がありませんでした。

 

また熱海から函南にかけては600メートルほどの山がそびえています。ですからトンネルを通さなければなりません。これが東海道線が通る丹那トンネルですね。このトンネルは難工事の末に出来たものでした。

 

丹那トンネルが出来たのは1934年です。しかし掘り始めたのが1918年ですから16年もの歳月をかけて造られたトンネルなんです。こんなにも長引いたのには地形の問題がありました。トンネルを掘っていくと大量の水が出てきたこと、非常に柔らかい地盤(断層)だったこと、伊豆大地震があったことなどが挙げられます。丹那トンネルを作るにあたり67名の方が亡くなっています。

 

もし東名を熱海ルートで建設していたら山側に道路を造らなければなりませんので、かなりの長さのトンネルが必要となったことでしょう。片側3車線なら6車線必要になります。そして長大トンネルゆえ避難する際の道も作るとなると難工事は免れませんし莫大な建設費用と保守費用もかかります。トンネル内で火災など起きたら一大事ですので長大トンネルはリスクにもなります。対して、御殿場ルートなら多少の勾配はあってもなだらかですので高速道路には向いています。

 

他にもまだ理由はありますが、大きくは地形や費用面で東名は御殿場ルートになったのです。

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