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織田信長は足軽の根本を変えた その意味は?

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火縄銃を扱う足軽部隊 写真はwikipediaから参照 

織田信長といえば言わずと知れた戦国大名で、歴史の苦手な方でも名前は知っているでしょう。桶狭間の闘いで今川義元を倒し、長篠の戦いでは効果的に鉄砲を用い、最後は本能寺で明智光秀に謀反に遭うなど話題に事欠かない大名の一人です。たくさんの有名なエピソードを持つ信長ですが、足軽の根本を変えた人でもあるんです。どういう事でしょうか。

 

戦国時代は足軽を大量に集めて戦いに赴いていました。信長前までの足軽は半士半農で、戦が無い時は農林業をして生計を立て、戦が始まれば戦闘員として駆り出されていました。ですから農繁期の戦いともなると農村では労働不足に陥りますし、翌年の兵糧にも影響がでていました。

 

また彼らには合戦後の恩賞が約束されていなかったため、戦に出た際には戦場の付近の村々で略奪をおこなうことがしばしばあったようです。さらに忠誠心がそこまで高くないため、合戦で負けが見え始めると一目散に逃げていきました。褒美がないならそうなりますよね。

 

では信長はこの足軽たちをどのように変えていったのでしょうか。信長は足軽の半士半農を辞めて、足軽を職業軍人にしていきました。彼らを城下に住まわせ、給付金を与えるようにしたのです。いわゆる兵農分離です。

 

メリットとしては、兵士を城下に住まわせているため戦になったらすぐに出陣できるため、相手方が城下に農民を集めている間に先制攻撃を仕掛けることができます。また普段から集団として訓練ができますので練度が上がり、長槍隊や弓隊や鉄砲隊などの専門部隊として育成することも可能になりました。

 

さらに給付金が与えられましたので忠誠心も上がりましたし、戦地での略奪も減ったことで戦闘に集中することが可能になりました。農繁期や農閑期に関係なく戦えるようになりました。このように兵農分離は良いことづくめだったようです。

 

確かに織田信長は先を読む力があった大名だったと言えるでしょう。足軽だった秀吉を重臣にさせたり、延暦寺を焼き討ちにしたりと、それまでの概念にとらわれない発想で物事を推し進めていったからこそ天下一歩手前まで歩んで行けたのだと思います。

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