貴殿のふとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

なぜ会津の人は山口県に対して150年間恨みを抱き続けているのか?

会津若松市にある鶴ヶ城

会津とは福島県の西部地域を指します。大きな都市だと会津若松市が有名です。実はこの会津地域は山口県に対して相当な恨みを抱いています。それも150年間です。なぜ山口県に対して恨みを抱き続けているのでしょうか。

 

1868年の幕末に戊辰戦争という戦いがありました。薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中心とした新政府軍と、旧幕府軍が戦った日本最大の内戦になります。全国各地で戦いがありましたが、その一つに会津藩と新政府軍が衝突した会津戦争があります。会津藩は進軍してくる新政府軍に果敢に抵抗しましたが、最新兵器で武装した新政府軍の前に劣勢を強いられます。

 

激戦のさなか、10代半ばで結成された白虎隊が集団自決したり、婦女子が足手まといにならないよう自刀するなど、3,000名弱が亡くなっています。領土を失った会津藩士たちは斗南(現在の青森県むつ市)に移住をすることになり、飢えと寒さで亡くなった方も多かったようです。この戦争において会津の人たちには新政府軍、とりわけ長州(現在の山口県)には恨みを抱き、今でもその感情を引きずっているのです。

 

同じくs新政府軍にいた薩摩や土佐に恨みは抱かなかったのでしょうか。薩摩出身の西郷隆盛が起こした西南戦争では会津人部隊が鎮圧して戊辰戦争での恨みを晴らせましたし、土佐出身の板垣退助は降伏した会津藩士の処遇を厳しくしないよう働きかけた人物だったので、むしろ土佐には良い感情を持っています。しかし長州には恨みを晴らす機会が無いまま現代に至っているのです。

 

今でも「山口県民が会津に訪れると危ない」とか、「山口県の人との結婚は親が認めてくれない」など冗談とも本気ともつかないようなうわさ話がささやかれています。

 

他にも実話として1986年には長州藩の首府があった山口県萩市が、会津藩の首府があった会津若松市に対して、「もう120年も経ったので」と友好都市締結と会津戦争の和解を申し入れましたが、会津若松市は萩市に対して「まだ120年しか経っていない」として拒絶しています。

 

また、1997年には会津若松市長が萩市を訪れた際、萩市長から握手を求められた時に、和解したと勘違いされるのを嫌がり握手を拒んでいます。

 

2007年には、故安倍晋三首相(山口県出身)が会津若松市を訪問した際には、「先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と発言しています。

 

このように現在でも会津戦争の遺恨が残っている両県ですが、多くの県民、とりわけ若い人の意見としては「別に何とも思っていない」のが実情なのではないでしょうか。

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