みなさんは、「屯田兵(とんでんへい)」という言葉を聞いたことがありますか?漢字を見てもどんな兵なんだろうと思うかもしれません。今回は、屯田兵とは何か、屯田兵がなぜ北海道に置かれたのはなぜか、その理由について考えたいと思います。
“北海道の開拓と防衛”
まず、屯田兵が置かれた背景には、北海道の開拓と防衛が大きな目的としてありました。明治時代に入ると、江戸時代の鎖国が終わり、日本は海外との関係を持つようになりました。そのため、外国からの脅威も増えました。特にロシアが北方から南下してくる恐れがあったため、北海道は日本の北方の防衛の最前線となるため、軍事的な拠点として重要となりました。
“外国からの脅威”
19世紀半ば、ロシア帝国が東シベリアやアラスカを拠点に太平洋地域に進出していました。このような状況下で、北海道の領有権を確保し、外国からの侵略を防ぐことが急務となりました。屯田兵は、この防衛のために北海道に配置され、彼らは軍人としての訓練を受けつつ、農業を通じて自給自足の生活を送り、地域の守り手として機能したのです。
“開拓のための人手不足”
また、北海道は当時、未開の地が多く、人手が不足していました。広大な土地を開拓するためには、多くの人々の協力が必要でした。屯田兵は、その開拓の労働力としても重要な役割を果たしました。彼らは、畑を耕し、道路を作り、井戸を掘るなど、多くのインフラ整備を行い、地域の発展に貢献しました。
“地域の発展と自給自足”
屯田兵は、地域社会の一員としても活動しました。彼らは家族とともに新しい土地に移り住み、農業を通じて自給自足の生活を営みました。このようにして、地域の人口を増やし、経済を発展させることができました。屯田兵の家族は、地域社会の基盤を築き、学校や病院などの公共施設も整備されていきました。
“明治政府の政策”
明治政府は、屯田兵制度を通じて北海道の開拓と防衛を効率的に進めることを目指しました。屯田兵制度は、1874年(明治7年)に始まり、政府は屯田兵に対して土地や農具、家畜を支給し、彼らが新しい土地で生活を始める支援を行いました。このような政策によって、屯田兵は安心して開拓と防衛の任務に専念することができたのです。
このように屯田兵の努力のおかげで、北海道は豊かな土地となり、多くの人々が住むことができるようになりました。そして外国からの侵入からも守られたんですね。屯田兵は後に帝国陸軍第7師団となっていきます。ゴールデンカムイで登場する師団です。もとは屯田兵だったんですね。