台湾と与那国島の距離はわずか110キロメートルと非常に近いため、「どうして台湾の一部ではなく、日本の領土なのだろう?」と不思議に思う人もいるかもしれません。たしかに地図を見ると沖縄本島からはだいぶ離れていて、台湾の方がすごく近いです。では、なぜ台湾の領土ではないかというと、その答えの鍵は、海の流れ、つまり黒潮にあります。
黒潮とは、日本の南方から北へと流れる強力な海流です。この黒潮は、与那国島と台湾の間を勢いよく流れており、昔の人たちにとっては大きな壁のような存在でした。特に、今のようなエンジンのついていない昔の手漕ぎカヌーを使った海上移動においては、この黒潮が非常に重要な役割を果たしていたのです。
まず、琉球王国の時代、与那国島は琉球の最西端に位置していました。当時の人々は、海を渡って交易をしたり、他の島々と交流を持つことが日常的でした。とはいえ、与那国島と台湾の間に流れる黒潮が、簡単に台湾へ渡ることを妨げました。もし手漕ぎカヌーで台湾へ向かおうとすれば、強い黒潮の流れに乗ってしまい、台湾を目指しても違う方向へ流されてしまうのです。
その結果、与那国島から台湾への移動は極めて困難でした。逆に、台湾から与那国島へ向かう場合は、黒潮の流れを利用して到達することができた可能性があります。しかし、その一方通行のような状況では、台湾と与那国島の間で頻繁に行き来することが難しかったため、結果として先島諸島(宮古島や石垣島や与那国島を含む諸島)は、台湾や中国の影響を受けることなく、琉球王国、そしてその後の日本の領土としての立場を守り続けたのです。
この海流の影響は、ただ単に地理的な問題を引き起こすだけでなく、歴史的な領土の境界線にも影響を与えました。黒潮があったために、台湾と与那国島は「近いけれど遠い」という不思議な関係を保ち続け、最終的には異なる国の一部としての運命をたどることになったのです。
まとめると、台湾と与那国島が近いにもかかわらず、台湾の領土にならなかった理由は、地理的な条件である黒潮の存在に大きく関係しています。この強力な海流が、古代から人々の移動を妨げ、歴史的にも文化的にも異なる道を歩ませたのです。海の流れが、人々の行動や国の境界にどれだけ影響を与えるのか、非常に興味深いですね。