満州という地名を聞いたことがあるでしょう。中国北部4州にまたがる広大な地域を指し、第二次世界大戦まで日本が支配していた地域です。この地域のことを内満州(南満州)と呼びます。内があるということは外満州も存在することになります。
皆さんは外満州(がいまんしゅう)という地域について、聞いたことがありますか?日本が関係している地域ではないのであまり聞いたことがないかもしれませんが、この外満州は中国とロシアの国境付近に位置する地域で、現在のロシア領に属しています。ですが、歴史的にはこの地域は中国(清国)の一部であったため、今でも中国とロシアの間で話題になることがあります。
外満州にはいくつかの重要な都市があります。例えば、ウラジオストク(Vladivostok)は外満州最大の都市で、ロシア極東の主要な港湾都市です。ウラジオストクはロシア太平洋艦隊の基地があり、戦略的にも非常に重要です。また、ハバロフスク(Khabarovsk)という都市もあります。ハバロフスクはロシア極東の中心的な都市の一つで、経済や文化の拠点となっています。
外満州の成り立ちは、19世紀に遡ります。清朝時代、中国は外満州を含む広大な領土を持っていました。しかし、1858年と1860年にロシアと中国の間で締結された「アイグン条約」と「北京条約」によって、外満州はロシアに割譲されました。これらの条約は、清朝が欧米列強との戦争に負けた結果、ロシアに有利な条件で結ばれたものでした。
この地域の面積は約100万平方キロメートルで、これは日本全土の約2.6倍に相当します。この広大な領土が中国からロシアへと移ったことで、現在も中国では外満州を「失われた領土」として認識する人々がいます。両国にも領有権問題があったんですね。
外満州に関する中国とロシアの対立は、単に歴史的な問題にとどまりません。冷戦時代には、両国の関係が非常に緊張しました。1969年には、ウスリー川のダマンスキー島(中国名:珍宝島)で、両国の軍隊が衝突する事件も発生しました。この事件は、外満州を巡る領土問題が依然として未解決であることを象徴しています。
現在では、両国は協力関係を強化していますが、歴史的な背景を考えると、外満州に関する問題は完全には解決していないといえるでしょう。特に中国国内では、外満州の返還を求める声が一部で残っています。
外満州は、ロシアに属する地域ですが、歴史的には中国との深い関わりがあります。この地域を巡る中国とロシアの対立は、過去の問題であるだけでなく、現在も一部で影響を与えているのです。