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なぜ丸の内のビルには「建物の上に建物」があるのか?

東京・丸の内を歩いていると、ふと不思議に思う光景があります。高層ビルのてっぺんに、まるで別の建物が“のっかっている”ように見える形。まるで積み木のようなビルたち……いったいこれは何なのでしょうか?実は、この奇妙な形には、過去の「ルール」が大きく関わっているのです。

 

昭和のはじめ、東京には「百尺(ひゃくしゃく)規制」という高さ制限がありました。百尺とは約31メートル。つまり、ビルの高さは最大で31メートルまで、と法律で決められていたのです。

 

なぜそんなに低く制限されたのでしょうか? ひとつは「安全性」です。当時の日本の建築技術では、それ以上高いビルを建てると、地震や火災のときに対応が難しかったのです。ですが、もうひとつ、あまり知られていない理由があります。それは――皇居を見下ろしてはいけないという考え方です。

 

丸の内のすぐ隣には皇居があります。そこに天皇陛下がいらっしゃいます。昔の人々にとって、天皇を「上から見る」というのは非常に無礼なことだと考えられていました。だからこそ、丸の内を含む皇居周辺では、高いビルを建てることができなかったのです。

 

では、今はなぜ高いビルが建っているのでしょうか?それは、1963年に百尺規制が解除されたからです。高度経済成長まっただ中、東京にはたくさんのオフィスが必要になり、土地の上にたくさんの人や会社を乗せる必要が出てきました。そこで、規制をやめて、より高いビルを建てられるようにしたのです。

 

けれども、新しく高さを追加する場合、もともとのビルを壊して一から作り直すのではなく、“上に増築”するという方法が取られました。こうして生まれたのが、「建物の上に建物がのっている」ような形のビルです。

 

たとえば、丸の内の「丸ビル」はその代表例のひとつです。もともとの建物は百尺規制時代のものですが、後に高さを足して、いまの高層ビルへと生まれ変わりました。

 

こうして見てみると、丸の内の不思議なビルの形は、ただのデザインではなく、時代の空気や社会の価値観、そして法律の名残がかたちになって現れていることがわかります。

 

今では空を突き刺すような高層ビルが立ち並ぶ丸の内ですが、そのてっぺんに見える“建物の上の建物”は、かつての日本が持っていた「敬意」と「限界」の象徴なのかもしれません。

 

次に丸の内を歩くとき、ぜひビルの上の方を見上げてみてください。「どうしてあんな形なんだろう?」という疑問が、新しい視点で街を楽しむきっかけになるかもしれません。

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