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昔と比べて情報量はどのくらい違うの?平安時代から現代までの「情報の波」をたどる

私たちは毎日、SNS、ニュース、動画、広告など、数えきれないほどの情報に囲まれています。朝起きてスマホを開くだけで、数百件の投稿やニュースが目に飛び込んでくる。けれど、昔の人たちはどれほどの情報を手にしていたのでしょうか。
平安時代、江戸時代、昭和、そして現代。この1000年以上の間に、私たちの周りの「情報量」はどれほど変化したのでしょうか。


平安時代 ― 情報は「人づて」と「文字」がすべて

平安時代(794〜1185年ごろ)は、情報のほとんどが人から人へと伝わるものでした。
たとえば都に住む貴族は、手紙や使者を通じて遠方の知らせを受け取ります。地方に暮らす庶民にとっては、旅人や行商人、役人の口から聞く話が、唯一の「ニュース」でした。

当時の情報の多くは「限られた人」しか得られないものでした。文字を読める人が少なく、書かれた記録も貴族や僧侶の手の中にありました。
つまり、情報の流れは極めてゆっくりで、しかも一方通行。たとえば京都で起きた出来事が地方に伝わるまで、数週間から数か月かかるのが当たり前だったのです。

現代と比べれば、1日の情報量はおそらく数千分の一以下。でも、その少なさがかえって、1つ1つの情報の重みを強くしていました。人の言葉には信用があり、うわさや伝言が社会の絆を作っていたとも言えます。


江戸時代 ― 情報の「大衆化」が始まる

江戸時代(1603〜1868年)は、情報が大きく広がった時代です。
寺子屋の普及によって文字を読める人が増え、町人や農民も手紙を交わすようになりました。さらに、版画技術の発達で「瓦版(かわらばん)」というニュース紙が登場。火事や事件、珍しい出来事が絵入りで印刷され、庶民の間で飛ぶように売れました。

また、旅が盛んになったことで、全国の情報が人々の間を行き交いました。東海道を歩けば、江戸や京都、大坂の話が耳に入り、まるで当時の「SNS」のように情報が伝わっていったのです。

しかしこの頃の情報も、まだ「地域限定」。天候や政治の動きなど、遠くの出来事はほとんど分からず、身の回りの情報が中心でした。それでも、平安時代と比べれば、情報量は数十倍から百倍ほどに増えたと考えられます。


昭和時代 ― メディアが生んだ「全国の共有意識」

昭和時代に入ると、情報は一気に爆発的に広がります。
ラジオの登場で、離れた地域の人々が同じニュースを同時に聞けるようになり、戦後はテレビがそれをさらに加速させました。新聞も全国に配達され、ほとんどの家庭にラジオとテレビがある時代がやってきます。

たとえば、1964年の東京オリンピック。日本中の人々がテレビの前で同じ瞬間を見つめていました。これは、それまでの時代には考えられなかった「情報の同時共有」でした。
昭和後期には電話も普及し、遠く離れた家族とも簡単に連絡が取れるようになります。

この頃の人々が1日に触れる情報量は、江戸時代の1000倍以上とも言われます。
けれど、この増加はまだ「受け取るだけの情報」が中心でした。つまり、情報は多くても「一方通行」だったのです。


現代 ― 情報は「洪水」へ

そして現代。
スマートフォンが登場してからわずか20年あまりで、私たちの生活は情報にあふれかえりました。
SNS、YouTube、ニュースアプリ、電子書籍、ブログ、ポッドキャスト…。たった1日のうちに目や耳から入る情報の量は、平安時代の人が一生に得る情報量を超えるとも言われています。

いまや私たちは、数秒ごとに情報を選び、判断し、スワイプしています。まさに「情報の洪水」の中に生きているのです。


情報が多いことの問題点

情報が多いことは、便利である一方で、いくつもの問題も生んでいます。

まず、「情報疲れ」。あまりに多くの情報が絶えず流れ込むことで、脳が休まる時間を失い、集中力が続かなくなってしまいます。
また、SNSでは誰でも発信できるため、誤った情報や偏った意見も瞬時に広がります。真実を見極める力が求められる時代です。

さらに、情報の多さは「比較」の多さでもあります。人の成功や楽しそうな日常が絶えず流れてくることで、自分の人生がつまらなく感じたり、焦りを感じたりすることも増えています。

つまり、情報が増えれば増えるほど、私たちは**「心の整理」**を必要とするようになっているのです。


情報との付き合い方を考える時代へ

平安時代の人は、限られた情報を信じ、時間をかけて受け取りました。
江戸時代の人は、旅や人のつながりを通して、じっくりと情報を味わいました。
昭和の人は、テレビや新聞を通じて、同じ出来事を共有しました。
そして今、私たちは一人ひとりが情報を発信し、世界中の出来事をリアルタイムで知ることができます。

技術の進歩によって得た「情報の自由」は、同時に「選択の責任」をもたらしました。
何を信じ、何を受け入れ、何を手放すか。それを考える力が、今の時代には欠かせません。


まとめ ― 情報の量よりも、「質」と「選び方」を

情報量が増えること自体は悪いことではありません。むしろ、それによって人類は発展し、つながり、助け合ってきました。
しかし、必要以上の情報は、かえって思考を濁らせ、心を疲れさせます。
だからこそ、私たちは「どんな情報を受け取るか」を意識的に選ぶ必要があります。

平安時代の人が語りで感じたように、江戸の人が瓦版を読み込んだように、昭和の人がテレビを囲んだように――
現代の私たちも、情報とどう向き合うかを見つめ直すときが来ているのかもしれません。

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