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江戸時代の辻斬り——なぜ起こり、どう対策されたのか?

夜の江戸の町を歩いていると、突然現れる武士の影。刀が光り、一瞬のうちに斬られる——これが「辻斬り(つじぎり)」です。時代劇などで耳にしたことがあるかもしれませんが、実際に江戸時代には本当に辻斬りがあったのです。では、なぜこのような恐ろしい行為が行われたのでしょうか? そして、幕府はどのように対策を講じたのでしょうか?


そもそも辻斬りとは?

辻斬りとは、道の辻(交差点)などで通行人を無差別に斬る行為のことを指します。多くは武士が行い、その理由はさまざまでした。

  1. 刀の切れ味を試すため
     武士にとって刀は命そのもの。実際に人を斬ったことがないと、いざというときに役に立たないと考えた者もいました。そのため、刀の切れ味や自身の腕前を試す目的で無差別に斬る者がいたのです。

  2. 武士の誇りとストレス発散
     江戸時代は平和な時代であり、武士が戦う機会はほとんどなくなりました。すると、「本当に自分は強いのか?」と疑問を持つ者も増えました。また、武士の中にはストレスや鬱憤(うっぷん)を晴らすために辻斬りを行う者もいたのです。

  3. 敵討ちや個人的な恨み
     ある武士が家族の仇(かたき)を討つために辻斬りを装ったり、個人的な恨みを晴らすために行ったりするケースもありました。これもまた、当時の社会背景を反映した一面です。


幕府の対策と禁止令

当然ながら、幕府も辻斬りを放置するわけにはいきませんでした。江戸の治安を維持するため、さまざまな対策を行いました。

  1. 「徒党・強訴・刃傷(ととう・ごうそ・にんじょう)」の禁止
     これは徳川家康が江戸幕府を開いた直後に定めた法令のひとつで、無許可で集団行動することや、刀を使って争いを起こすことを禁止するものでした。辻斬りも当然、刃傷沙汰(にんじょうざた)に該当し、厳しく取り締まられました。

  2. 「帯刀(たいとう)」の制限
     武士は本来、二本の刀(大小)を持つことが許されていましたが、町中では短い脇差(わきざし)のみを許可し、大きな刀(打刀)は持たせないようにする規則ができました。これにより、突発的な斬り合いや辻斬りの抑制を狙ったのです。

  3. 「目明し(めあかし)」の活用
     江戸時代の警察役として、「目明し」と呼ばれる町の監視役がいました。彼らは辻斬りの情報を集め、町奉行所と連携して犯人を捕らえる役割を果たしました。また、夜回りの火消しや岡っ引き(おかっぴき)も警備を担当し、辻斬りを減らす努力がされました。


辻斬りの終焉

江戸時代の後半になると、幕府の統制がさらに強まり、辻斬りは次第に減少していきました。特に、天保の改革(1841年〜1843年)では、武士の行動がより厳しく制限され、無法な行為は即刻処罰されるようになりました。

また、町人文化の発展により、武士の価値観も少しずつ変わっていきました。剣の腕前を誇るよりも、学問や礼儀を重んじる武士が増えたことで、辻斬りのような行為は次第に時代遅れとなっていったのです。


まとめ

江戸時代の辻斬りは、武士の気質や社会の変化が生んだ現象でした。しかし、幕府の厳しい取り締まりや、武士の価値観の変化によって、次第に減少し、最終的には歴史の闇に消えていきました。

とはいえ、辻斬りの恐怖は江戸の人々に強く刻まれており、今でも時代劇や小説などに登場します。もし当時の江戸の町を歩いていたら、夜道を一人で歩くのは避けたほうがよかったかもしれませんね。

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