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ねずみ男ならず “ねずみ小僧” 本当に実在した盗賊だってほんと?

ねずみ小僧は、歌舞伎や小説でも出てくる人物で、悪い人から金を盗み、貧しい人たちに配った正義の味方という言い伝えがあります。実は架空の人物ではなく、治郎吉(じろきち)といって、江戸時代後期に実在した盗賊です。なぜねずみ小僧と言われたかというと、ねずみのように身軽に出没したから、あるいは、丸顔で背が低く太っていたからという説があります。

 

もとは鳶人足(とびにんそく)でしたが、賭博で身を持ち崩したため資金稼ぎのために盗賊になったとのことです。小柄ですばしっこかったこともあり、武家屋敷を中心に32回に及ぶ盗みを成功させました。しかし、33回目にして捕縛されます。普通なら死罪を免れませんが、「初めて盗みに入った」と嘘を言い、入墨の上で追放処分を受けます。

 

治郎吉はそれでは懲りず、再び江戸に戻ってきて盗みを働きます。その後7年に渡り武家屋敷に90回忍び込みました。盗んだ金は計12,000両に上ったと言われています。言い伝え通り、盗んだお金は貧しい人に配ったんだろうと思いますよね。しかしそうではありませんでした。

 

捕縛されて自白することになるのですが、盗んだ金は「賭博と女と酒につぎ込んだ」と言ったのです。実際、貧しい人に施しをしたという記録は残っていません。加えて、役人が治郎吉の家を捜査しても盗まれた金は見つからなかったようです。

 

武家屋敷を狙ったのも、敷地が広すぎるゆえ警備が手薄でした。警備を厚くすると謀反の疑いをかけられるので人員は少なくせざるを得なかったようです。また男性と女性が住んでいる区画が分かれているため、女性たちが住んでいる場所で見つかっても逃げやすいという理由があったからだそうです。そしてメンツとプライドがあるため被害を公にしにくいという事情もありました。ねずみ小僧はそれらの点を知っていたんですね。

 

ではなぜ正義の味方のように言われているのでしょうか。治郎吉より50年ほど前に存在した稲葉小僧という盗賊が、ねずみっぽさを持った治郎吉と合わさって「ねずみ小僧」が出来上がったようです。この稲葉小僧は本当に盗んだものを人々に分け与えていたようです。治郎吉は稲葉小僧の名声も盗んだんですね。

 

治郎吉は捕縛されてから3か月後に江戸引き回しのうえ処刑されてしまいました。引き回しの際には、治郎吉は悪びれる様子もなく、口紅と化粧を施されたようです。最後まで盗賊としての矜持を持っていたのですね。

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