
私たちは「日本」という国に暮らしていますが、「そもそも国って何?」と聞かれると、意外と答えづらいものです。国はただの場所や名前ではなく、人々の生活や社会の形を作る大きな仕組みです。今回は、日本がどのように国になり、どんな変化があったのか、そして明治時代にどのように確立されたのかを分かりやすくお話しします。
国家ってなんだろう
国(国家)は、三つの大事なものを持っています。
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領土(国の土地)
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国民(そこに住む人)
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主権(自分たちでルールを決める力)
この三つがそろって初めて国と呼べます。国は、法律を作ったり守ったり、税金を集めたり、他の国と話し合ったりします。これによって、みんなが安心して暮らせるようにします。
昔は、小さな村や集落ごとに暮らし方や決まりがバラバラでした。国ができると、広い地域で同じルールが決まり、大きなまとまりとして動けるようになりました。
日本が国になったきっかけ
日本が本格的に「国」として形を作り始めたのは、飛鳥時代から奈良時代にかけてです。それまで日本列島には多くの豪族がいて、それぞれが力を持っていました。でも、中国や朝鮮半島から文化や政治のやり方が伝わり、それを参考にして「天皇を中心とした国の仕組み」が作られていきます。このとき、国としての名前「日本」も使われるようになりました。
このときの大きな変化は、土地や人が国の管理下に置かれたことです。税金の制度や戸籍が作られ、人々の数や働き手がしっかり記録されるようになりました。
国になって変わったこと
国として動き出すと、共通の法律や制度ができ、治安や公共事業(道や堤防づくりなど)が進みました。農業や商売も安定し、外敵から守る軍隊も作られました。
しかし、国の仕組みには負担もありました。税や労働の義務は重く、嫌になって逃げる人もいました。また、中央政府と地方の有力者との間に争いが起こることもありました。
明治時代に確立された近代国家
江戸時代の終わり、外国の船が日本にやってきて開国を迫りました。これが大きな転機となり、1868年に明治時代が始まります。新しい政府は、欧米の国々に追いつくために「近代国家」を作ることを急ぎました。
まず、中央集権の体制を強化し、全国の藩を廃止して県を置きました(廃藩置県)。これによって、日本全体が天皇を中心とする一つの国としてまとまりました。
さらに、軍隊を国が直接管理する徴兵制度、全国共通の義務教育、統一された税制度(地租改正)などが導入されました。そして1889年には大日本帝国憲法が制定され、国の形が憲法によって正式に定められました。
この時期、日本は「国民はみな国家のために尽くす」という考え方が広まり、国全体の力を高める方向へと動いていきます。その一方で、個人の自由よりも国の利益が優先される場面も多くなりました。
どうして国が必要だったのか
当時、日本は西洋列強の植民地にならないために、強い国を作る必要がありました。外交交渉で対等に渡り合うためにも、国内の仕組みを近代化し、軍事や産業を発展させなければならなかったのです。
しかし、この「強い国づくり」は国民への負担を増やすことにもつながりました。税金や兵役、義務教育などは、生活に大きな影響を与えました。
現代の国家
今の日本は憲法で民主主義や人権が守られています。それでも、国家は税金、教育、安全、災害対策など、生活のあらゆる面に関わっています。世界がつながる今でも、国という枠組みは私たちの暮らしを守る大切な存在です。
まとめ
国は、みんなが安全に暮らし、社会を動かすための仕組みです。日本は飛鳥時代から始まり、明治時代に近代国家として確立しました。そこには便利さと同時に、自由の制限や負担といった課題もあります。しかし、私たちが安心して暮らせるのは、この国という仕組みがあるからなんですね。