4年に一度行われている平和の祭典オリンピック。コロナの関係で東京オリンピックは1年延びてしまいましたが、地元開催ということもあり蓋を開けてみれば連日のメダルラッシュで盛り上がりを見せています。1964年にも東京オリンピックは開催され、それとともに日本も発展してゆきました。しかし1964年以前に東京で夏季オリンピックを開く計画がありました。それが今回の題にもある幻のオリンピックです。
このオリンピックは1940年に開催される予定でした。当時史上初めてアジアで行なわれる五輪大会ということで、日本でも少なからず盛り上がっていたそうです。なぜ1940年の東京五輪は開催されなかったのでしょうか。
オリンピックが東京に決まった年は1936年でした。この頃は4年後の大会に向けて準備を始める段階にありましたが、しだいに雲行きが怪しくなっていきます。歴史を見てゆくと分かる通り、1937年に日本と中国の間で戦争が起こります。いわゆる日中戦争です。
オリンピックを行うには多くの施設が必要になります。競技場を作る必要があったのです。それらを作るには多くの鉄を必要としますし、人手もかき集めなければなりません。戦争は国の存亡がかかっていますので競技場を作るために物や人をオリンピックに割く余裕はありませんでした。特に軍部からの反対が大きかったとのことです。
また、中国の利権をめぐって対立していたイギリスやアメリカからも中止を求める声が上がっていました。戦争を行っている日本で平和の祭典を行うのは相応しくないとのことです。
日本の政府の思惑では、国際的な孤立を深めてゆく中にあってオリンピックこそが国際協調を示すことが出来るイベントと思ったのでしょう。しかし時代の流れには逆らえませんでした。開催に向けて準備を進めていましたが、イギリスが日中戦争を理由に選手の派遣を拒否し、それに追随するようにボイコットを表明する国が続出したため、開催が失敗に終わる前に開催権を返上しようという判断が下されました。それが1938年のことです。
日本のオリンピック返上を受けてフィンランドのヘルシンキが代替候補地として選ばれましたが、こちらも第二次世界大戦の勃発によって中止となっています。
国際協調の象徴として名乗りをあげたオリンピックでしたが、むしろ国際的な孤立によって中止になってしまいました。今回はそんな幻のオリンピックのお話でした。