皆さんは軍師と聞いて誰を思い浮かべますか。日本の戦国武将だと武田信玄の家臣である山本勘助、上杉謙信の家臣である宇佐美定満、羽柴秀吉の家臣である竹中半兵衛や黒田官兵衛などが有名ですね。彼らは武将です。しかし軍師の中には武将ではなく僧侶もいました。今回は僧侶の軍師を見てみましょう。
・太原雪斎
織田信長に桶狭間の戦いで敗れた今川義元。弱いイメージを持つかもしれませんが、「東海一の弓取り」とも呼ばれていて戦上手だったようです。今川義元は武田氏や北条氏ともやりあってきた大名でもあります。その軍師だったのが太原雪斎という僧侶でした。軍事面で提言するだけでなく外交や政治面でも秀でた人物で、駿府臨済寺の住持として宗教的な影響力も大きいものでした。
・安国寺恵瓊
中国地方の大名である毛利氏に仕えていた僧侶の安国寺恵瓊は主君である毛利元就と織田政権の講話を実現すべく活動した人物です。彼のすごいところは軍師であるだけでなく、伊予の国(愛媛)の大名にもなっているところですかね。智謀や外交面で大いに能力を発揮しましたが、関ヶ原の戦いで西軍についていたため処刑されてしまいました。
・南光坊天海
徳川家康の側近で江戸幕府初期の朝廷政策や宗教政策に影響を与えた人物です。この人は家康を日光東照宮に祀ったことでも有名です。
・以心崇伝
こちらも徳川家康に仕えた僧侶です。外交や政治に手腕を発揮しました。家康が亡くなった後も政治や文化や宗教に大きな影響を持ち。黒衣の宰相とも呼ばれました。
多くの大名は僧侶を軍師または補佐役として召し抱えました。それはなぜでしょうか。現代とは違いまだまだ識字率も高くはなく、大名たちは武芸には秀でていても、学問や教養が無い人も少なくありませんでした。しかし僧侶は古今の学問に通じていましたので政治面で大名をサポートすることが出来たのです。太原雪斎のように法案の作成などにも活躍しています。
また、僧侶は宗教を人々に教える立場でしたので人心を掌握する技術に長けていました。それゆえ外交や講話交渉を行ううえで有能な人物でもありました。
僧侶という立場上、命が狙われることはほとんどありませんでした。僧侶を殺すなどしたら罰が当たるからです(信長は別にして)。そういった面でも外交や講話交渉を行なうにうってつけだったのでしょう。安国寺恵瓊は敵である織田家と何度も交渉を行っています。
今回は、軍師としての僧侶の働きを見てゆきました。大名が僧侶を登用するのには訳があったんですね。