学校の入学式や卒業式では必ずといっていいほど流れる曲に「君が代」があります。また、スポーツの表彰式などでも流れますので、日本人なら誰しも耳にしたことがあるでしょう。そんな君が代ですが、外国人が作成したことをご存知でしょうか。
君が代は1930年に国家として定着しました。しかし法整化されたのは最近のことで1999年です。「国旗及び国家に関する法律」で正式に日本の国家として法制化されたのです。
君が代の歌詞は、世界の国家の中で作詞者が一番古いものといわれています。それもそのはずで10世紀初頭の古今和歌集からとられているからです。しかし「詠み人知らず」の和歌なので、誰が作ったのかは不明です。
歌詞は古今和歌集からというのが分かりましたが、曲はいつ作られたのでしょうか。明治初期から中期にかけて近代化を進めていた日本は外国人を呼び寄せていました。芸術、軍事、法制、外交などの分野で西洋諸国に追い付くために外国人は欠かせませんでした。その中にプロイセン出身(現在のドイツ)のフランツ・エッケルトという人物がいます。彼はプロイセンの軍楽家で、日本で音楽教師として働くよう招かれ、27歳の時にやって来ました。
1880年に宮内省雅楽課が君が代の歌詞に旋律を付し、来日2年目のエッケルトに君が代に西洋和声を付け編曲してもらい、現在の君が代は出来上がりました。ですから正確に言えば編曲者になります。
エッケルトは日本を離れる1988年まで、管楽隊、弦楽隊、管弦楽隊、合唱団などの指導や指揮をしました。加えて、日本の伝統音楽の採譜、和声学なども教授をしています。日本の音楽は西洋音楽とはまるで異なっていたので、日本人は音楽の奥深さにさぞ驚いたことでしょう。
エッケルトは日本を離れた後、韓国に渡っています。15年間韓国で音楽を教えていました。当時の韓国は「大韓帝国」と呼ばれていた時代で、大韓帝国の国歌「大韓帝国愛国歌」というのも作っています。
エッケルトは、日本だけでなく韓国でも音楽の演奏と指導に勢力を注ぎました。両国の音楽を近代化に導いた人物の一人として語り継がれています。
君が代の意味は、「あなたの命が千年も八千年も永遠とも言える時間、つまり小さな石が大きな岩となり、苔が生えるくらいまで長く続いていきますように」という長寿を願う歌となっています。