ちょっとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

明治時代に掲げた富国強兵とは何?どんな成果があったの?

旧新橋停車場

明治時代、日本は大きな変革を迎えました。その中でも「富国強兵(ふこくきょうへい)」というスローガンは、日本の未来を左右する重要な政策でした。では、「富国強兵」とは何だったのでしょうか? そして、どのような成果を生んだのでしょうか?

富国強兵とは?

「富国強兵」とは、その名の通り「国を豊かにし、軍を強くする」という政策です。明治政府は、欧米列強に負けない強い国を作るために、この目標を掲げました。当時、日本は江戸時代の鎖国政策から脱し、欧米の近代的な技術や制度を積極的に取り入れ始めた時期でした。しかし、西洋諸国はアジアの国々を次々と植民地化しており、日本も同じような運命をたどるのではないかという不安がありました。そのため、日本は「経済」と「軍事」の両方を強くすることで、独立を守ろうとしたのです。

どのような政策が行われたのか?

1. 産業の発展(富国)

日本の経済を発展させるために、政府はさまざまな政策を打ち出しました。

  • 殖産興業(しょくさんこうぎょう):新しい産業を育てるために、官営工場を作り、西洋の技術を導入しました。例えば、富岡製糸場(とみおかせいしじょう)はフランスの技術を使った近代的な工場で、日本の絹産業を発展させました。
  • 鉄道の建設:1872年に日本初の鉄道が新橋~横浜間で開通しました。これにより、物資や人の移動がスムーズになり、経済活動が活発になりました。
  • 貨幣制度の統一:それまで各藩で異なっていた貨幣を統一し、「円」を正式な通貨としました。これにより、商業がスムーズに行われるようになりました。

2. 軍事の強化(強兵)

日本を守るためには、強い軍隊が必要でした。そのため、次のような改革が行われました。

  • 徴兵制の導入:1873年、「徴兵令(ちょうへいれい)」が発布され、すべての男子が一定の年齢になると軍に入る制度が作られました。それまでの武士中心の軍隊から、国民全体が支える軍隊へと変わりました。
  • 西洋式の軍隊づくり:フランスやドイツの軍隊制度を参考にし、近代的な訓練や武器を取り入れました。
  • 海軍の整備:日本は海に囲まれた国であるため、強い海軍を持つことが重要でした。イギリスの技術を学び、近代的な軍艦を建造しました。

富国強兵の成果

「富国強兵」は日本を大きく変え、国際的な地位を向上させました。

1. 経済の発展

新しい産業が育ち、輸出も増えました。特に、生糸(きいと)は海外で高く評価され、日本の経済を支える重要な輸出品となりました。また、鉄道や通信の発達により、日本国内の経済活動も活発になりました。

2. 軍事力の向上

近代的な軍隊を整えたことで、日本は強くなりました。その成果が最も現れたのが、日清戦争(にっしんせんそう)(1894年)と日露戦争(にちろせんそう)(1904年)です。

  • 日清戦争では、当時アジアの大国だった清(中国)に勝利し、台湾を日本の領土としました。
  • 日露戦争では、世界最強とも言われたロシアの軍隊を相手に、日本は勝利しました。これは、日本が欧米列強と肩を並べる国になったことを世界に示す出来事となりました。

まとめ

「富国強兵」は、日本が近代国家として成長するための重要な政策でした。経済を発展させることで国を豊かにし、軍事力を高めることで国を守る。この両輪がうまく回ったことで、日本は欧米列強と肩を並べる存在へと成長しました。

しかし、その一方で軍事力の増強が後の戦争への道を開くことにもなりました。歴史の流れを学ぶことで、日本がどのように成長し、どのような課題を抱えたのかを知ることができます。「富国強兵」は、今の日本を形作る大きな転換点だったのです。

にほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
にほんブログ村