「最後のソビエト市民」と呼ばれている人がいます。それはセルゲイ・クリカレフというロシア人です。彼はなぜそのように呼ばれているのでしょうか。
セルゲイ・クリカレフ(以下クリカレフ)は1958年レニングラード生まれでソビエト連邦の宇宙飛行士、またロケット科学者です。彼は6度も宇宙飛行を経験し、約10年にわたって通算宇宙滞在時間の世界記録を保持していました。とても有能な飛行士ですね。
1991年5月にソビエト宇宙ステーションミールに向けて飛び立ちました。一緒に宇宙に行ったのがアナトリー・アルツェバルスキー機長とイギリス人宇宙飛行士ヘレン・シャーマンです。ヘレン・シャーマンは実験を終えるとすぐに地球に帰還します。アルツェバススキー機長も5か月後に帰還します。この時、クリカレフは152日宇宙に滞在しています。
クリカレフが宇宙に行っている間、祖国ソビエトは大変な状態にありました。1991年8月にミハイル・ゴルバチョフ大統領に対するクーデターが失敗し、政治的に混乱したソビエト連邦から、ぞくぞくと国(ウクライナやベラルーシなど)が独立していきます。12月にはソビエト連邦が崩壊してしまいます。
ソ連の崩壊によってクリカレフも翻弄されます。ソ連時代のロケット打ち上げ基地(バイコヌール基地)がロシアではなく、独立したカザフスタンにありました。ロシアはこのバイコヌール基地を使いたかったのですが、経済が疲弊していたため費用を払うことが出来ませんでした。そのため、カザフスタン政府に打ち上げ許可と引き換えに、カザフスタン宇宙飛行士を搭乗させることで合意しました。
しかし、このカザフスタン飛行士ともう一人のオーストリア人飛行士は宇宙空間での長期滞在の訓練を受けていなかったため、クリカレフは彼らと交代できず、そのまま宇宙ステーションに滞在することになります。結局、地球に帰還できたのは1992年3月で、トータル311日間宇宙に滞在することになりました。
しかし、彼が地球に降り立った時には祖国ソビエト連邦は崩壊していました。そのため「最後のソビエト市民」と言われています。さらに故郷のレニングラードもサンクトペテルブルクに名前が変わっていました。彼はこれらの変化に相当ショックを受けたようです。
その後、彼はアメリカのスペースシャトル・ディスカバリーに搭乗し、再び宇宙に飛び立っています。現在は飛行士として引退していますが、宇宙で過ごした日数(800日以上)は歴史上3番目の記録です。