貴殿のふとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

明暦の大火で解放された囚人たちは、その後どうなった?

1657年3月2日から4日にかけて江戸の大半を焼いた大火災がありました。それを明暦の大火と言います。江戸三大大火(明暦・明和・文化)の一つに挙げられており、延焼面積と死者ともに江戸時代最大のものでした。もともと江戸城(現在の皇居)には天守がありましたが、この大火によって焼失してしまいます。

 

江戸中が炎に包みこまれたわけですが、牢獄にいる囚人たちはどうなると思いますか。身動きが取れないので死を待つしかありません。囚人だから仕方がないと考えるでしょうか。そうしなかった人物がいます。それが牢屋奉行の石出帯刀吉深(いしで たてわき よしふか)です。石出帯刀とは、小伝馬町の牢屋の長の名前で、世襲名になります。

 

「むさしあぶみ」という作品の中に、石出帯刀が囚人たちに語った言葉が載せられています。「お前たちをこのまま焼け死なすのは不憫である。だから、お前たちを一時的に解放するから、火が鎮まったら下谷のれんけい寺に集合せよ。私の命に代えても必ずその義理に報いてみせよう。しかし、帰ってこなかったものは雲の果てまでも探し出し、本人はおろか、一族まで処罰するからそのつまりでいよ」と言い、猛火が迫るなか囚人たちを解放します。その際、囚人たちは涙を流し、手を合わせて石出帯刀に感謝します。

 

大火が収まったのち、囚人たちは戻ってきたのでしょうか。結果を言えば1人を残して数百人の囚人が戻ってきました。真面目に牢屋に戻った囚人たちは石出帯刀の働きによって減刑されていますので、言うことを聞いてよかったですね。戻ってこなかった1人は故郷へ逃げ帰っていましたが、彼の行動を怪しんだ村人たちによって江戸に連れ戻され死罪に処されることになりました。

 

本来、牢屋の鍵は町奉行所で保管されており、手続きをしないで勝手に開けることは出来ないのですが、猛火が迫っている緊急時にそんなことをしてはいられません。石出帯刀の転機によって数百人の命が救われることになりました。勝手な行動をしたゆえに石出帯刀も処罰されそうですが、実際は称賛される存在となりました。

 

この有事の際の囚人解放はその後の法律にも引き継がれ、実際に関東大震災や東京空襲の折に、刑務所の受刑者を解放しています。石出帯刀の機転の利いた行動が多くの囚人を救っているんですね。

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