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なぜ日本海側より太平洋側の都市が栄えているのか

日本海側の都市と聞くとどこを思い浮かべますか。秋田、新潟、石川、敦賀、舞鶴、鳥取、境港などでしょうか。これらは日本海側でも栄えているほうですが、やはり東京、名古屋、大阪、広島などの大都市と比べると規模の小さな都市です。なぜ日本海側より太平洋側の都市が栄えているのでしょうか。今回はそのテーマで考えたいと思います。

 

まず、一つ目の理由として「太平洋側には広い平野があるので土地を開拓しやすかった」ということが挙げられます。太平洋側には関東平野や濃尾平野や大阪平野などの広い平野があります。これらの地域は昔から農業に適しており、人々が住みやすかったため、都市が発展しやすかったのです。

 

次に、江戸時代の物流について考えてみましょう。江戸時代には日本海や北海道の港から江戸や大坂(大阪)へ、米や魚などが船で運ばれていました。その船を北前船と呼びます。なので北前船が通っていた日本海ルート上の佐渡、能登、石見などの寄港地はその恩恵を受けて栄えました。

 

しかし、時代が進むにつれて状況は変わりました。鉄道が開業すると、物流は太平洋側にシフトしました。鉄道は速くて大量の物資を運べるため、物流の中心が太平洋側に移ったのです。その結果、日本海側の都市は活気を失っていきました。さらに横浜や神戸などの港も整備した結果、貿易港として栄え、海外からの物資も入ってくるようになりました。

 

さらに、明治以降の日本の産業構造の変化も大きな影響を与えました。日本は農業中心の第一次産業から、工業や商業、サービス業へと経済の中心が変わりました。この変化により、多くの人々が仕事を求めて太平洋ベルト地帯に集まりました。この現象は「集団就職」や「出稼ぎ」と呼ばれ、多くの労働人口が太平洋側の都市に集中しました。このようにして、現在の人口分布が形成されていったのです。

 

太平洋側の都市を見てみると交通網が発達しています。新幹線や高速道路、港などが整備されており、物の移動がスムーズに行えるため、ビジネスや観光が活発に行われます。これにより、さらに人々や企業が集まり、地域経済が発展していきました。

 

このように、日本海側よりも太平洋側の都市が栄えている理由は、地理的な条件、歴史的な物流の変化、そして産業構造の変化によるものなのです。

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