表参道は今や高級ブランドやおしゃれなカフェが並ぶ、華やかな街として知られています。でも、どうしてこの場所がそんな特別なエリアになったのでしょうか?実は、その背景には戦後日本とアメリカの関係が深く関わっています。
明治神宮の南に代々木公園があります。原宿駅の西にある大きな公園です。この代々木公園には大日本帝国陸軍の代々木練兵場がありました。敗戦後に練兵場跡地に「ワシントンハイツ」という米軍専用住宅街ができました。ここにはアメリカの将校とその家族が住んでいて、当時の日本では考えられないような豪華な暮らしが広がっていました。当時の日本人は戦後の混乱で物資不足に苦しみ、まともな家に住むこともままならない状況でしたが、ここワシントンハイツの住宅には床暖房や冷蔵庫、電気洗濯機まで完備され、芝生の庭には高級車が並んでいました。
日本人はワシントンハイツの中に入ることはできませんでしたが、外からは眺めることが許されていました。アメリカの豊かな生活に憧れを持った人々が増え、戦後の日本は次第に欧米文化を取り入れるようになります。また原宿周辺にアメリカ人が増えたこともあり、米軍住宅地の周囲には輸入品や高級品を扱う店が集まるようになりました。これが原宿と表参道の商業発展の第一歩でした。
その後、日本経済が成長するにつれ、このエリアには流行に敏感な若者やクリエイターたちが集まりました。原宿は「KAWAII文化」が発展しましたが、原宿に隣接する表参道は「モード文化(流行やファッション)」が形成されていきます。特にファッションデザイナーたちは、ここで自分のブランドを立ち上げ、世界に挑戦する場を得ました。デザイナーの山本寛斎はこの地から世界に進出し、日本のファッションが国際的に評価されるきっかけになりました。
表参道が今のようなブランド街になったのは、こうしたワシントンハイツがあったからでした。もともと外国文化を受け入れる土壌があり、そこに高度経済成長の追い風が加わったことで、世界的なブランドが集まる街へと変貌を遂げたのです。ワシントンハイツは1964年に日本に返還されました。その跡地に代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターとなっています。ワシントンハイツの名残はすでにありませんが、そこから生まれた文化は今も表参道に息づいています。