ポテトチップスが好きという方は多いでしょう。ジャンキーなのは分かっていてもついつい食べてしまいますよね。スーパーやコンビニに行けばたくさんの種類のポテトチップスが売られています。まさに日本の国民的お菓子となっています。でも、なぜ日本でポテトチップスがここまで食べられるようになったのでしょうか。こんかいはその点を考えます。
ポテトチップスが生まれたのは1853年のアメリカです。レストランシェフがお客の要望に応えて、ポテトを薄切りにしてカリカリに揚げたのが始まりと言われています。しかし、まだ料理の付け合わせとして出されていましたので、お菓子ではありませんでした。1950年代になって初めて味付けのポテトチップスが販売されるようになりました。
アメリカ生まれのポテトチップが日本にやってきたのは戦後の事です。日経2世だった濱田音四郎という人物がハワイでポテトチップスの製造に関わっており、終戦後に日本にやって来ます。そして昭和20年代にアメリカン・ポテトチップスという会社を設立します。しかし、まだ日本人には馴染みのない食べ物だったため、進駐軍にしか売れませんでした。
戦後の日本は食糧難だったこともあり、次第に日本人にも受け入れられていきます。ハワイのフラダンスを由来とする「フラ印」のポテトチップスは大人気となり、本場アメリカ製のポテトチップスが売れなくなるほどの人気商品となっていきます。
やがて、日本のメーカーもポテトチップスを製造するようになり、1967年に湖池屋がポテトチップスの量産化に成功し、日本全国にポテトチップスが流通するようになりました。今ではカルビー、山芳製菓、ハウス食品、ヤマザキビスケット、森永製菓、などのメーカーが多くのポテトチップス製品を生み出してきたのです。
食文化が多様化している日本では、さまざまなフレーバーのポテトチップスが生み出されています。塩、コンソメ、醤油、のり、わさび、唐辛子、鰹節、地方の特産品を使ったものなど多種多様です。
ポテトチップスが日本で瞬く間に普及していったのは理由があり、濱田音四郎があえてポテトチップスの特許を出願しなかったためです。素晴らしいですね。このような経緯ゆえ、濱田音四郎はポテトチップスの父と呼ばれています。