1976年に「東京砂漠」という曲がヒットしました。といっても私はまだその年には生まれていませんが聞いたことはあります。東京の殺伐としたイメージをうたった曲だろうと思っていたら、砂漠とは言いませんが水不足によって生まれた言葉でした。遡ること1964年に東京が大渇水に見舞われ、その際メディアなどであまりに雨が降らないので東京砂漠と揶揄されたものでした。
1964年と言えば東京でオリンピックが開催された年です。当時の日本は高度経済成長によってどんどん発展していった時期でした。東京に多くの人が集まり、まさに一極集中が進んでいました。さらに発展に伴う乱開発や多くの工場の稼働によって水道水の使用量は急増し、東京都心での水不足が深刻化していったのです。その一方で河川の水質汚濁も酷く、臭いも相当なものだったようです。
1964年だけでなく、1960年~1962年も干ばつによって水不足に悩まされていました。ダムの底も見えるほど深刻な水不足が数年続いていたのです。東京は砂埃が舞うようになり、「東京砂漠」とメディアに揶揄されることになったのです。
このように水不足は私たちの生活に大きな影響を及ぼします。食糧危機や工場停止、安全な飲料水を確保できず水系感染症が蔓延するなど、ただ水を飲めないだけでなく、2次的な被害も起きてしまうのです。
環境省の発表では「私たちが容易に利用可能な淡水は地球上の水の 0.01%とごく限られており…」と述べられていて、その貴重な水を78億人が利用しています。国連の世界水発展報告書(2018 年版)によれば、「人口増加、経済発展や消費パターンの変化等によって、2050年の世界全体における水需要は現在よりも20~30%増加すると予想されています」。将来は水の奪い合いが予想されますね。
日本においては蛇口をひねれば当たり前のように水が出てきます。しかし世界を見回すと、蛇口から水が出てこない、もしくは川まで水を汲みにいかなければならないという人々もたくさんいます。世界各地で起こっている異常気象、経済の発展、人口の増加などが予想されている今後、水資源が世界中の人々に上手に行き渡ってゆくのでしょうか。私たち一人一人がきちんと考えるべき問題なのかもしれません。