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とんちで有名な一休さんは、いい意味で暴走老人だったの?

「一休さん」。皆さんも一度は耳にしたことがあるでしょう。アニメや漫画でも取り上げられているので、もしかしたら日本で一番有名なお坊さんかもしれません。この一休という人は実在していた人物で、「一休宗純」と言います。室町時代の臨済宗の僧侶です。

 

ただの僧侶ではなく、父親は北朝の後小松天皇で、母親は南朝に属する貴族の娘と言われています。ですから身分も高い家柄だったんですね。しかし6歳で出家させられてしまいます。15歳の時には都で評判になるほどの誌才があり一目置かれた人物になっています。その後、彼のもとに能の金春禅竹、堺の豪商の尾和宗臨、俳諧の祖でもある山崎宗鑑など、当時の一流人が集まっていたとのことです。

 

でも、一休さんと言えば「このはし、渡るべからず」や「虎退治」など、とんちで有名な人物として知られています。しかしこれらの話は江戸時代の創作で、実際には一休宗純が考えたとんちではありません。じゃあお堅い僧侶だったのか、と思うかもしれませんが実態はいい意味で暴走老人だったようです。

 

一休は、本人が書いた「狂雲集」の中で、酒と色と詩に溺れて、先輩に叱られたと書いています。このように本人も認める破天荒な人物で、法要にはボロボロの法衣をまとって現れたり、肉食妻帯が禁じられている僧にもかかわらず、肉を食べ、酒を飲み、女性関係を楽しむような人だったようです。

 

78歳の時には、50歳以上年が離れた森侍者(しんじしゃ)という盲目の女性と同棲し、死ぬまで夜ごと交わっていたようです。加えて、80歳になっても遊郭に足を運び女性との時間を楽しむなど、リアルな性生活を「狂雲集」につづっています。しかしそんな絶倫爺さんでしたが88歳でマラリアにかかって死んでしまいます。といっても、当時にしてみればめちゃくちゃ長生きしています。

 

かなりの暴走老人ではありましたが、これらの破天荒な行動には当時の仏教界への反発があらわれていました。当時の高僧たちは、表向きは清廉潔白に振舞っていましたが、裏では女性との関係を持ったり、男色にふけるなど俗人と変わらない生活を送っていました。それを隠すことなく堂々と行っていたのが一休宗純という僧侶で、いってみれば高僧たちへの皮肉を込めた行動でもあったのです。「一休さん」は、とんち以上に面白い人だったんですね。

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