ちょっとした疑問に答えるブログ

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戦国武将で同い年の人って誰かいる?

「日本の歴史上で戦国時代が一番好き!」と言われる方は多いでしょう。大河ドラマやゲームでも取り上げられることも多く、馴染みがある人が多いのかもしれません。有名な人物が多い戦国時代ですが、同い年の人物はいるのでしょうか。調べてみました。

 

武田勝頼・黒田官兵衛(1546年生まれ)

武田勝頼は武田信玄の4男で、武田家を滅亡に追い込んだ悲劇の大名として語り継がれています。父親が偉大過ぎたんですね。対して黒田官兵衛は秀吉の軍師で、信長が本能寺の変で死んだ際にはすぐに明智光秀を討って天下を取るよう進言した人物として知られています。策士でもあります。

 

榊原康政・本田忠勝(1548年生まれ)

榊原康政と本田忠勝はどちらも徳川家康の家臣で有名ですね。そしてどちらも徳川四天王に数えられています。どちらも若い時から家康を支え、多くの武功を立てています。年齢も同じ2人はよきライバルとして徳川家を支えていきました。でもどちらかというと本田忠勝の方が取り上げられることが多いですね。本田忠勝は「家康に過ぎたるもの」「薄手の具足を身に纏いながら傷を負わなかった」と称されているのも影響しているのではないでしょうか。

 

藤堂高虎・片桐且元(1556年生まれ)

藤堂高虎は浅井長政の家臣で、その後は豊臣家、徳川家に仕え、徳川3代目の家光の時まで使えました。彼は政治力が高いだけでなく、築城の名手でもあり、伊賀上野城、丹波亀山城などを築いています。片桐且元は豊臣家の直参家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人でもあります。しかし勇猛果敢な武将というよりかは、秀吉のそばに仕え、検地やインフラ整備を行う裏方としてのイメージが強いかもしれません。

 

石田三成・直江兼続(1560年生まれ)

石田三成は若くして秀吉に仕え、内政面で豊臣政権を支えた人物です。まさしく戦国時代のエリート官僚と言ったところでしょうか。惜しくも関ケ原の合戦では徳川家康に負けてしまいました。直江兼続は上杉家に仕える家老で当主の上杉景勝からの信任も厚く、上杉家臣たちは上杉景勝を「殿様」「上様」と呼び、直江兼続を「旦那」と敬称するなど、上杉家臣からも一目置かれた人物でした。

 

真田幸村(信繁)・伊達政宗(1567年生まれ)

真田幸村は、大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍によって「日本一の兵」とよばれ、後世はいろいろな形で創作され、宿敵である家康に果敢に挑む英雄敵武将として庶民にも愛される武将となりました。伊達政宗は天然痘で失明したため眼帯をしていたことから独眼竜と称されています。加えて、派手好きだったことから、派手な装いを好み着こなす人を伊達者(だてもの)と呼ぶようになりました。

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