貴殿のふとした疑問に答えるブログ

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マニラで大歓迎 敬虔なキリシタン大名「高山右近」とは?

高山右近

高山右近という人物をご存知だろうか。歴史がお好きの方なら耳にしたことがあるかもしれません。戦国時代に活躍した大名で、織田信長や豊臣秀吉に仕えていた人物です。しかし大名としての働きよりも注目されるのはキリシタンとしての敬虔さかもしれません。

 

彼はカトリックの洗礼名として「ジュスト(義人)」を与えられており、当時は数多くのキリシタン大名がいましたが、とりわけ敬虔な人物だったと言われています。ただキリスト教を信じていただけでなく、文武両道に優れ、千利休の7人の高弟「利休七哲」の1人に名を連ねてもいます。人望も厚く、右近の影響によって蒲生氏郷、黒田孝高、牧村利貞らはキリシタンになりました。

 

秀吉のもとで、小牧長久手の戦いや四国制圧などに参戦して6万石を与えられています。このように武将としての才覚もありましたが、秀吉が出した「バテレン追放令」によってキリシタン大名の右近はピンチに陥りますが、右近は棄教を拒否したため領地を没収されてしまいます。領地と財産を捨ててでも信仰を貫く姿を見た人々は大変驚いたと言います。

 

その後は、前田利家のもとに身を寄せていましたが、徳川家康はキリシタンへの恐怖を持っていたため、キリシタンを国外追放することにしました。右近またもピンチを迎えることになりますが、敬虔だった彼はためらうことなく海外へ行きます。この時62歳でした。妻(洗礼名はジュリア)と共に長崎から船に乗りキリスト教圏のルソン島(フィリピンのマニラ)に向かいます。

 

船旅は決して楽ではなく、暴風や荒波、食糧不足などに悩まされ、出向から43日後にようやくルソン島にたどり着きます。ルソン島の人たちは右近を大歓迎します。なぜなら、イエズス会や宣教師の報告によって右近の篤い信仰心や行動が人々に知れ渡っていたからです。祝砲が鳴らされ、熱烈な歓迎を受けました。現地の総督から無償で屋敷を与えられるなど敬われる存在だったようです。

 

右近はルソン島で迫害される事無くキリスト教を実践することができるはずでしたが、厳しい船旅や南国の気候に体がもたず、熱病にかかって死んでしまいました。亡くなったのはルソン島への上陸からわずか40日後だったそうです。

 

激動の時代を生きてきた高山右近はルソン島でひっそりと息を引き取りました。しかし、400年後の2015年にバチカンからカトリックの称号である「福音」を授けられています。このように高山右近は近年、国内外から高い評価を受けた人物でもあるのです。

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