貴殿のふとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

山手線の歴史の中で、唯一廃止された駅があるってほんと?

JR高尾駅北口駅舎

「廃止された駅なんてあったっけ…」そのように考えてしまうのも無理はありません。なぜなら、廃止された駅は今から100年以上前のことだからです。今のように環状運転をする以前の山手線の話になります。では、なぜこの駅は廃止されたのか、またどのような駅だったのか考えていきたいと思います。

 

この駅があったのは、現在の代々木公園の駅の中にありました。旧原宿駅(現在の原宿駅より少し北にあった駅)から線路が分岐し、640m先に駅ができました。つまり支線です。その駅名は「葬場殿仮停車場」というもので、なんだか変わった名前の駅ですよね。この「葬場」とありますが、言葉の通り「葬儀場」を指します。

 

なんでこんな名前になったかというと、明治天皇の皇后・昭憲皇太后が亡くなった際、遺体を納めたひつぎ(霊柩)を京都まで運ぶために仮で作った駅だったからです。大喪儀限定で作られたため、1914年5月24,25日だけしか稼働しませんでした。

 

霊柩列車は夜中の2時11分に葬場殿仮停車場を発車し、その後に、第1供奉列車、第2供奉列車が続きます。2時44分に品川を出発し、京都府の桃山駅に17時30分に到着します。伏見桃山陵の隣に伏見桃山東陵がありますが、そこは皇后のために整えられました。ちなみに皇后が亡くなる2年前に亡くなった明治天皇は伏見桃山陵に埋葬されています。

 

今回は、明治天皇の皇后の葬儀の際に作られた駅についての話でした。葬場殿仮停車場に関しての駅舎や線路などの遺構は残ってはいないようです。幻の駅になります。

 

ちなみに、大正天皇の葬儀の際にも駅が作られました。1927年のことです。新宿御苑の中に駅が作られ「新宿御苑仮停車場」という名前の駅が突貫工事で作られました。寒さが厳しい真冬の時期でしたが3か月で立派な駅舎が建ったのです。あまりにも立派だったため、取り壊すのが惜しいということで移設を検討します。

 

その候補に挙がったのが浅川停車場です。「どこやねん」と言いたくなりますが、現在のJR高尾駅です。JR高尾駅北口の駅舎は関東の駅百選にも選ばれるほど立派な駅ですが、それも大正天皇の葬儀の際に作られた駅という背景もあるからなんですね。ただ、高尾駅北口の再整備が行われることになっているため、北口の駅舎は「東浅川保健福祉センター」の第2駐車場に移築・保存されるそうです。歴史的な駅舎が壊されるのではなく、残って良かったですね。

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