2022年8月21日現在、ロシアによるウクライナへの侵略は半年を迎えました。短期間で終わらせる見込みだったロシアにとってここまで長引くとは思ってもみなかったでしょう。しかし戦争とは短期決戦で終わることは珍しく、大体は何年とかかることが度々あります。
戦争と言えるか分かりませんが、西軍と東軍に分かれた関ケ原の戦いは半日で終わったので、ものすごく短期決戦だったと言えます。では世界の中で一番早く戦争が終結したものとは何でしょうか。今回はその点を考えます。
それはイギリス・ザンジバル戦争という戦いです。聞いたことがないと言われる方も多いでしょう。それもそのはずで、時は1896年と今から120年以上前の戦いだからです。そして場所は現在のアフリカにあるタンザニアで起こっています。
その当時、タンザニアの沖合にザンジバル諸島に独立したザンジバル王国がありました(現在はタンザニアに属している)。王国といってもイギリスの保護国になっていました。なぜ戦争に発展したのでしょうか。
親イギリスのスルタン(国王)だったハマド・ビン・スワイニが亡くなり、後釜としてハリド・ビン・バルガシュが後を継ぎました。しかしイギリスとしてはハリドよりもハムド・ビン・ムハメドの方が国益にかなう人物であると言い、彼をスルタンにしたいと願っていました。じつはスルタンになるにはイギリス領事が認めたものでなければなることができない、という条約があり、後継者のハリドはその条件を満たしていませんでした。
なのに「ハリドがスルタンになるなんて許せん」と怒り、これは戦争を始める理由になると結論したため、ハリドに「宮殿から出て行かないと攻撃する」と最後通牒を送りました。
ハリドは「おのれイギリスめ。ふざけろ!」といったかどうかは分かりませんが、親衛隊を集め立てこもります。ハリド側2,800名、イギリス軍1,050名で戦うことになります。人数で言えばハリド側がかなり優位でした。
8月27日の午前9時2分にイギリス軍がイギリス側から砲撃を始めます。宮殿が火事になり、ハリド側の大砲が使えなくなってしまいました。また、イギリス軍はハリド側の船を次々に沈めていきます。そして戦争は9時40分に宮殿の旗が撃ち落とされイギリス軍の勝利で幕を下ろしました。約38分間の戦いでした。ハリド側が500名の損害を被り、イギリス軍は1人だけ損害をだしました。イギリス軍の圧勝でした。この38分の戦争は最短記録としてギネスにも載っています。
全てではありませんが、イギリス・ザンジバル戦争やロシアによるウクライナ侵略もそうですが、最新の兵器は戦況を好転させたり、有利にさせることがよく理解できますね。