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大東亜共栄圏ってなに?なんで日本がアジアに手を伸ばしたの?

第二次世界大戦中、日本は「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」という構想を掲げ、アジア諸国を結束させて欧米の植民地支配から解放し、共に栄える地域を作ろうとしました。しかし、この構想の背後には単なる理想だけでなく、日本の「生存圏」を広げようという戦略的な目的も含まれていました。

 

【どうして「大東亜共栄圏」を掲げたのか】

当時、アジアの多くの地域はイギリスやフランス、オランダなどの欧米諸国によって植民地化されていました。日本は、これらの支配からアジアを解放し、日本を中心とした新しい秩序を作ることで、アジア全体が発展すると主張しました。表向きの目的は「アジアの解放と団結」でしたが、その根底には自国の安全や経済発展を確保するという意図が隠されていました。

 

この考え方はドイツの「生存圏(Lebensraum)」理論から影響を受けたもので、日本もまた自国の資源や国防を守るためにアジアの広い範囲を「生存圏」として取り込む必要があると考えていました。つまり、「大東亜共栄圏」は日本が繁栄を続けるための経済圏と国防圏を確保するための政策でもあったのです。

 

【「日満支経済ブロック」とは】

日本は、当初から自国と満洲(現在の中国東北部)、そして支那(中国)を一体化させた経済ブロック「日満支経済ブロック」を作り、資源や人材の調達を容易にしようとしていました。これにより、鉄鉱石や石炭、食料などを安定して手に入れることができ、日本は自給自足に近い経済を目指していました。しかし、この地域だけではまだ日本が必要とする資源が十分でなく、南方の資源豊富な東南アジアにも目を向けるようになりました。

 

日本は東南アジアを資源供給地とし、さらに南太平洋を国防の拠点とすることで、外部からの脅威を防ぐという戦略を取りました。これが「大東亜共栄圏」の構想として広まっていきます。

 

【東アジアに広がる日本の政策】

この「大東亜共栄圏」という政策は、日本がアジアの盟主となってアジア諸国を導く、という理想が掲げられていました。フィリピン、タイ、ビルマ(現在のミャンマー)、インドなどの国々と共存共栄し、ヨーロッパの植民地支配から自由にすることで、新しいアジアの秩序を築こうとしたのです。

 

特に「大東亜会議」では、アジアの代表者たちが集まり「アジアのためのアジア」を宣言しましたが、実際は日本の指導のもとで進められることが多く、日本の利益が優先されることが多かったとされています。結果として、戦争が長引くにつれて日本の「解放」の理想とは裏腹に、占領地の人々は多くの犠牲を強いられることになりました。現地の人々は日本の統治に対して反発するようになり、日本の理想と現実との間には大きなギャップが生まれました。

 

このように「大東亜共栄圏」は日本が自国の生存と発展を確保するための政策であったと同時に、当時の日本の思想や戦略が反映されたものだったと言えます。欧米の植民地支配に対抗する形でアジアの団結を目指しましたが、実際には日本の都合に合わせた政策が進められ、多くのアジア諸国からの反発を招く結果となりました。そして敗戦後は大東亜共栄圏という政策は崩れていったのです。

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