ちょっとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

2.26事件ってなに?~日本の歴史が大きく揺れた4日間~

写真はWikipedia参照 反乱軍の将兵たち

もし東京の真ん中で、軍の一部が突然クーデターを起こしたとしたら?
実は、そんなことが本当に起きたのが「2.26事件(にーにーろくじけん)」です。これは1936年(昭和11年)2月26日、わずか4日間で終わったにもかかわらず、日本の未来を大きく変えた事件です。今回は、なぜこの事件が起きたのか、その背景や結末まで、わかりやすく解説します。

どうして起きたの?背景には「不満」と「理想」が

2.26事件を起こしたのは、陸軍の中の若い将校たちでした。彼らは「皇道派(こうどうは)」と呼ばれ、日本を天皇中心の理想国家に戻したいと考えていました。一方、軍の上層部や政府は「統制派(とうせいは)」というグループが主導していて、彼らとは考え方が異なっていました。

当時の日本では、農村が不景気に苦しみ、都市部でも失業者が増えていました。また、政治家や財界の一部が私利私欲のために動いているように見えたことも、軍人たちの不満を強めました。

若手将校たちは、「国を腐らせているのは一部の政治家や財閥だ。彼らを排除すれば日本は正しい方向に進む」と信じていました。そして、彼らはついに行動に出ます。

何が起きたの?東京が占拠された!

1936年2月26日未明、約1400人の兵士が首相官邸や警視庁、新聞社などを急襲し、東京の中心部を一時的に占拠しました。高橋是清大蔵大臣や斎藤実内大臣など、政府の要人が暗殺され、岡田啓介首相は命こそ助かりましたが、標的の一人でした。

このクーデターによって、東京市(現在の東京23区)とその周辺に対して正式に戒厳令が発令されました。戒厳令とは、国家の秩序が大きく乱れた際に、軍が治安維持の主導権を握るための非常措置です。

首謀者たちは「昭和維新(しょうわいしん)」を掲げ、日本を「清く正しい国」に戻すという理想に燃えていました。けれども、実際には混乱が広がるばかりで、世論も政府も支持しませんでした。

天皇の怒りとクーデターの失敗

意外かもしれませんが、天皇・昭和天皇はこのクーデターに強く反対しました。彼は「軍が勝手に政府を動かすことなど決して許さない」という立場をとり、すぐに鎮圧を命じました。

2月29日には、反乱軍は降伏。リーダー格だった将校たちは、軍法会議にかけられ、すぐに死刑を宣告されました。事件は4日間で終結したのです。

この事件が日本にもたらしたもの

2.26事件が失敗に終わったことで、一見すると反乱は無意味だったように見えます。しかし、じつはこの事件がその後の日本を大きく変えていきました。

まず、軍の中では「皇道派」が力を失い、「統制派」が完全に主導権を握るようになります。これにより、軍はより組織的かつ計画的に動くようになり、日中戦争や太平洋戦争への道が加速していきました。

また、政府や国会の力が弱まり、軍部が政治に強く関与するようになりました。民主主義の基盤が大きく揺らいだ瞬間だったのです。

なぜ今、2.26事件を知る意味があるのか

2.26事件は、理想を掲げた若者たちが力で国を変えようとした出来事でした。しかし、その結果は「民主主義の否定」や「戦争への加速」でした。
現代の社会でも、何かを変えたいと思う気持ちは大切ですが、「どう変えるか」「誰と変えるか」も同じくらい大切です。

この事件から学べるのは、理想だけで突っ走る危うさと、バランスの大切さです。権力や暴力ではなく、言葉や仕組みで社会を良くしていくことの重要性を、あらためて考えさせてくれます。


まとめ:2.26事件とは何だったのか?

  • 起きた日: 1936年2月26日

  • 関わった人々: 陸軍の若手将校たち(皇道派)

  • 目的: 腐敗した政治や財界を一掃し、昭和維新を実現する

  • 結果: 天皇の命令で鎮圧され、関係者は厳しく処罰

  • 影響: 軍部の政治介入が強まり、日本は戦争へと進んでいく


この事件を知ることは、日本の近代史を理解するうえで欠かせないポイントです。「なぜあの時、日本はあの道を進んだのか?」という問いの手がかりになるからです。

にほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
にほんブログ村