
「スペイン風邪」という言葉を聞いたことがある人は多いかもしれません。名前だけ聞くと、スペインで起こった風邪のように思えるかもしれませんが、実際には第一次世界大戦のさなか、1918年から1919年にかけて世界中を襲ったインフルエンザの大流行を指します。現代の私たちが経験した新型コロナウイルスのパンデミックよりもはるかに多くの犠牲者を出した、20世紀最大級の感染症危機でした。では、このスペイン風邪とは一体どれほど恐ろしい病気だったのでしょうか。
なぜ「スペイン風邪」と呼ばれるのか
名前の由来は誤解されやすい部分です。実際の発生源はアメリカ中西部のカンザス州やフランスの軍キャンプなど諸説ありますが、当時の戦時下では各国が国民の士気を下げないために報道を規制していました。中立国だったスペインでは報道規制が緩く、国王アルフォンソ13世までもが感染したことを大きく伝えたため、「スペインで流行している病」と広まったのです。そのため「スペイン風邪」と呼ばれるようになりましたが、必ずしもスペインが発生源ではありませんでした。
世界的な感染拡大の背景
1918年当時、第一次世界大戦の真っただ中でした。兵士の大量移動、狭い塹壕や軍事キャンプでの密集生活、そして戦争による栄養不足や医療体制の脆弱さが、感染を爆発的に広める原因となりました。輸送船や鉄道に乗った兵士が世界各地に移動したことで、病気は数か月のうちにヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカへと広がり、最終的には世界人口の約3分の1にあたる5億人が感染したと推定されています。
どのくらいの犠牲者が出たのか
犠牲者数はおよそ1700万人から5000万人とも言われています。一説では1億人に達したとも。正確な数字はわかりませんが、当時の世界人口が約18億人であったことを考えると、その規模は桁違いでした。現代のインフルエンザが毎年数十万人規模の死者を出すのと比べても、スペイン風邪の破壊力がいかに異常であったかがわかります。
なぜそれほど致死率が高かったのか
普通のインフルエンザでは高齢者や幼い子どもが重症化しやすいのに対し、スペイン風邪は20代から40代の若い世代に多くの死者を出しました。これは、感染によって免疫反応が過剰に働き、自分自身の体を攻撃してしまう「サイトカインストーム」と呼ばれる現象が関係していたと考えられています。健康な大人ほど強い免疫反応を起こし、肺が急速に破壊されて呼吸困難に陥ったのです。
また、当時は抗ウイルス薬も抗生物質も存在せず、二次感染として肺炎を合併すると助かる術がほとんどありませんでした。医療現場には人工呼吸器も集中治療室もなく、ただ看病するしかなかったのです。
人々の暮らしに与えた影響
スペイン風邪は社会生活を一変させました。学校は休校になり、公共の集会は中止され、教会や劇場も閉鎖されました。都市では葬儀が追いつかず、簡易な墓地が急ごしらえで作られることもありました。病院は患者であふれ、医師や看護師も次々に倒れていったため、人々は自宅で孤独に息を引き取ることも多かったのです。
都市に漂う恐怖と静けさ、通りに出ても誰もいない風景は、当時の新聞や日記に生々しく記録されています。まさに「見えない敵」との戦いに人類全体が巻き込まれていたのです。
なぜ短期間で収束したのか
スペイン風邪は1918年春から数年続きましたが、最も致命的だったのは秋から翌年にかけての第二波でした。その後、徐々に収束していったのは、感染者が増えすぎて免疫を持つ人が社会に蓄積されたこと、そしてウイルス自体が次第に弱毒化したためと考えられています。
現代への教訓
スペイン風邪から1世紀以上が経った今でも、その教訓は色あせていません。感染症は国境を越えて広がり、医療や経済、社会全体に大きな影響を与えるという現実を、私たちは新型コロナの流行でも再び目の当たりにしました。
違うのは、現代にはワクチンや抗ウイルス薬、人工呼吸器、そしてインターネットを通じた情報共有の仕組みがあることです。とはいえ、100年前と同じように「人が集まれば感染は広がる」という基本原則は変わっていません。スペイン風邪は、人類がいかに感染症に弱い存在であるかを痛烈に示した歴史的な出来事だったのです。