貴殿のふとした疑問に答えるブログ

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地震で滅びた戦国武将がいたってホント?

写真はWikipediaから参照 帰雲城跡と後方の山体崩壊した帰雲山

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、北条氏康、石田三成など戦国時代には有名な戦国大名がいます。では、戦国大名と一族が地震で亡くなった話を聞いたことがありますか。ほとんどの人が知らない出来事ではないでしょうか。それもそのはずで一般的に有名とは言い難い戦国大名だからです。その名は内ケ島氏理(うちがしま うじまさ)という大名です。

 

内ケ島氏は飛騨国(現在の岐阜県北部)を支配する大名です。場所的に言えば合掌造りで有名な「白川郷」がある辺りです。現在の石川県や富山県にも近いところにあります。内ケ島家の祖先は足利家に仕えていましたが、足利義政の命令によって白川郷に来ることになりました。

 

内ケ島家は飛騨地方を治めることになりましたが、領地には豊富な鉱山資源があり、金が採れました。これを狙う敵もたくさんいましたが、飛騨地方は山深い地形ゆえ天然の要害となり、何度となく敵を追い返しています。そして内ケ島氏は鉱山経営で財を成し、周囲に幾つかの城を築いていき戦国大名となっていきます。流れ的にはかなりいいですね。

 

いくつかの城がある中で帰雲城(かえりくもじょう)を本拠とし、晩年は織田信長や豊臣秀吉に仕えていました。ここまでは順調に見えますが、ここから悲惨な結果が待ち受けていました。日本は昔から地震が多い国ですが、戦国時代にもいくつかの大地震が記録されています。天正13年(1586年)に中部地方を震源とした「天正地震」が起きます。一説にはマグニチュード8前後の巨大地震が中部地方を襲ったとのことです。遠く離れた阿波国(現在の徳島県)でも地割れの被害が起きたほどです。

 

険しい山の中にあり、難攻不落を売りとしていた「帰雲城」も無事ではいられませんでした。この日はたまたま祝宴が催されていて、大名の内ケ島氏理氏を始め、内ケ島一族、主だった重臣すべてが集まって酒を飲んでいました。そのタイミングで突然巨大地震が襲ったのです。建物が崩れるなら誰かしら生き延びそうですがそうはなりません。

 

この大地震によって、帰雲城があった帰雲山が山体崩壊し、急峻な斜面をつたって土石流が城と300軒の家があった城下町を飲み込んでしまったのです。人々は逃げる時間もなく一瞬のうちにすべてが土砂に埋まってしまい、内ケ島一族を含め家臣団や領民も死んでしまったのです。

 

あまりにすべてを流してしまったので、現在では帰雲城の正確な場所が分からないほどです。そのため城好きには「幻の城」と呼ばれているのです。加えて、鉱山開発で財を成した内ケ島家の埋蔵金が周囲に埋まっているのではないかという伝説も残っているほどです。地震の恐ろしさと、人間の命の儚さが分かるエピソードとなっています。

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