ふだん友達と話しているときはバリバリの関西弁なのに、先生やお店の人と話すときは標準語に聞こえる。そんな人、身のまわりにいませんか?あるいは、自分がそうかもしれません。「なんで敬語を使うと、方言が出にくくなるんだろう?」というのは、多くの人がなんとなく気づいているけれど、はっきり説明されることの少ないふしぎです。
実はこの現象、ただの気のせいではありません。言葉には「場面によって使い分ける」という性質があるからです。たとえば、家では「うるさい!」って言っても、学校では「静かにしてください」って言いますよね。言葉には「TPO」が存在します。
敬語というのは、まさに「よそゆきの言葉」です。つまり、自分の地元の言葉=普段着、敬語=フォーマルな服、のようなイメージです。ふだん関西弁を話す人が、かしこまった場面になると標準語寄りになるのは、自然な流れと言えます。
それに加えて、日本の学校教育では「敬語は標準語で教えられる」ことが多いです。たとえば教科書には「いただきます」「おっしゃいました」「ご覧になります」といった、共通語ベースの敬語がのっています。つまり、子どものころから「敬語=標準語っぽいもの」として覚えてきたため、自然と方言が消えるのです。
もうひとつ大事なのが、「聞き手への配慮」です。たとえば青森出身の人が、東京で働くようになったとします。初対面の取引先の人に向かって、いきなり「○○っきゃ〜」と言っても、相手が意味を理解できないかもしれません。そこで「わかりやすい言葉=標準語+敬語」に切り替えることで、コミュニケーションのズレを防いでいるのです。
実際に、関西出身の人にインタビューしてみると、「ふだんは関西弁だけど、バイトの接客中は完全に標準語になる」という人が多くいます。ある人は「『ありがとうございました〜』って、標準語っぽく言わないとバイト先の先輩に怒られた」と言っていました。こうした経験を通して、自然と「敬語は標準語風に」が身についていくのです。
けれども、方言がまったく消えるわけではありません。たとえば、「〜しはる」「〜やねんけど」など、敬語と方言が混ざった形もあります。これは「方言敬語」と呼ばれ、関西や九州、東北など、地域によって独自の形があります。つまり、完全に標準語になる人もいれば、「ちょっとだけ方言が残る」人もいるんですね。
こうした「使い分け」は、実はとても高度な言語能力です。話す相手や場面に応じて、言葉の色を変えられるのは、日本語の面白さのひとつです。言いかえれば、敬語になると方言が出ないのは、「言葉を選ぶ力」が自然に働いている証なのです。
言葉は、ただの音ではありません。その人の生まれた場所、育ち方、人との関わり、そして今いる場所のすべてがつまっています。だからこそ、「なぜ敬語になると方言が出にくくなるのか」を考えることは、自分の言葉を見つめ直すきっかけにもなるのです。
あなたの敬語には、どんな「地元のかけら」が残っていますか?話すたびに少しずつ変化する言葉の中に、自分らしさを見つけてみるのも、きっと楽しいはずです。