東京を歩いていると、浅草や月島、深川などが「下町」と呼ばれていることに気づきますよね。でも、ふと疑問に思いませんか?
「下町(したまち)」って、そもそもなんで“下”なの?そして“上町(うえまち)”ってあるの?」
今回は、そんな素朴だけど奥深い疑問にお答えします。「下町」という言葉の成り立ちから、「上町」との関係、そして現代の私たちにとっての意味まで、わかりやすくお伝えします。
「下町」はどこにある?
まず、「下町」と聞いて思い浮かべるのは、昔ながらの商店街や木造の家、路地裏の風情、そして人情味あふれる町並みではないでしょうか?
東京では、浅草、柴又、月島、深川、上野、向島などが有名な下町エリアとして知られています。
でも、なぜこれらの地域が「下町」と呼ばれるようになったのでしょう?
「下町」の本当の意味は「地形」にあった!
実は、「下町」という言葉は地形に由来しています。
江戸時代、現在の東京都心部には、ふたつのエリアが存在していました。
-
台地(高い土地)に住む武士たちのエリア
-
低地(川に近い平地)に住む町人・商人たちのエリア
この低い土地、つまり「下(しも)」の土地に広がっていた町が「下町」と呼ばれるようになったのです。
具体的には、隅田川や東京湾に近いエリアがそうです。
低地は洪水のリスクがある反面、水運に便利で商業が発展しました。そのため、商人や職人が多く住み、活気のある町ができました。
じゃあ「上町」はどこにある?
では、「下町」があるなら、「上町」もあるのでしょうか?
実は、東京では「上町」という言葉はあまり一般的には使われていません。
けれど、江戸時代には山の手(やまのて)と呼ばれるエリアがありました。
この「山の手」が、下町に対する「上町」のような存在だったのです。
山の手とは、現在の目黒区・豊島区・渋谷区・新宿区あたりの台地に広がる地域を指します。地理学的な名称では「武蔵野台地」と呼ばれ、東京の多くの高台は武蔵野台地の一部に含まれます。皇居の周囲には武家屋敷が多く、政治や文化の中心地とされていました。
つまり、「上町」という言葉自体は使われませんでしたが、「山の手」こそがその役割を担っていたというわけです。
現代の「下町」の意味はもっと広がっている
地形の違いから生まれた「下町」ですが、今ではその意味は少し変わってきています。
たとえば、以下のようなイメージを思い浮かべる人も多いはずです:
-
昔ながらの商店街がある
-
人と人の距離が近い
-
昭和レトロな雰囲気
-
祭りや伝統文化が残っている
つまり、「下町」とは単に低地にある町というだけでなく、あたたかみや人情、そして歴史の香りが残る場所として捉えられているのです。映画「男はつらいよ」や漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」などはまさしく下町が舞台となっています。
なぜ「下町」が今、人気なのか?
最近では、「下町」をテーマにしたテレビ番組や映画、さらには観光ガイドブックなどでも多く取り上げられるようになりました。
その理由は明らかです。
-
懐かしさや安心感を感じられる場所
-
地域の人とのふれあいがある
-
個人商店や老舗が多く、個性的な体験ができる
このような「人の温度」が感じられる街が、便利さばかりを求めた現代人の心に響いているのです。
まとめ:「下町」は過去と未来をつなぐ町
「下町」とは、単に“下にある町”という意味ではありません。
地形に由来しながらも、そこに住む人々の暮らしや文化が積み重なり、今では東京の魅力のひとつとなる大切なキーワードになっています。
そして「上町」はあまり使われない言葉ですが、「山の手」として確かに存在していました。
これから東京を歩くときは、「ここが下町なのかな?」「昔はどんな風景だったんだろう?」と、少しだけ想像力を働かせてみてください。
きっと、東京という街がもっと面白く、もっと好きになるはずです。