戦国大名と言えばだれをイメージしますか?学校の教科書にも載っている織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などでしょうか?その他にも魅力的な戦国大名はたくさんいます。今回は有名どころをあげていきたいと思います。
織田信長
桶狭間の戦いで今川家を撃破した尾張(愛知県)の武将です。各地に色々な敵を作りながらも勢力を伸ばし、室町幕府を事実上滅亡させ、強力な中央政権を確立した人物です。最後は家臣の明智光秀の謀反によって亡くなりました。幼少のころは行儀が悪かったことから「大うつけ」と呼ばれていました。
豊臣秀吉
農民から関白、太閤にまでのぼりつめた人物で出世の象徴となっています。あだ名は「猿」「ハゲネズミ」だったそうです。信長のもとで頭角を表わし、信長を討った明智光秀を討ちとって権力を得、その後は日本全国の大名を臣従させてゆき、天下統一を果たしました。太閤検地や刀狩りなどの政策も行った人物で、農民の出なのに知略や政治に長けた人でもありました。
徳川家康
江戸幕府を開いた人物です。関ヶ原の戦いで石田三成を倒し、大阪の役で豊臣家を滅ぼして天下統一を果たしました。江戸幕府は250年以上も続いています。長期政権の基盤を作った人です。自ら薬を調剤して飲むなど健康オタクともいえるほど体を気遣っています。75歳まで生きて、当時としてはとても長生きでした。
武田信玄
甲斐(山梨県)の虎として怖れられた大名です。上杉謙信との5度にわたる川中島での合戦が有名です。三方ヶ原の戦いでは徳川軍を敗走させ、家康は命からがら逃げ帰りましたが、馬上で糞を漏らしてしまうというエピソードが残っています。そのくらい強い軍団を武田信玄は持っていました。騎馬隊が有名ですね。
上杉謙信
越後(新潟県)の龍、また軍神とも呼ばれています。義を重んじる戦上手の大名です。ライバルの武田信玄と何度も戦をしましたが、武田方に塩が無いことが分かると(山梨県は海が無い)塩を送ってあげるという親切なエピソードを持っています。ことわざの「敵に塩を送る」はここからきています。最期は厠(かわや=トイレ)で倒れて死んでしまいました。
北条氏康
武田信玄や上杉謙信、今川義元らと戦い、不敗を誇る名将です。相模の獅子とも呼ばれ、難攻不落の小田原城を拠点に現在の関東を征服していった大名です。北条家3代目の当主で、初代は北条早雲(最初の戦国大名とも言われている)。戦上手でしたが、領国経営においても手腕を発揮し、税負担を軽くしたり、貨幣を統一したり、目安箱を設置したりするなど民からの支持も高かった。
今川義元
2万5000人もの大軍を率いて京に上洛をしようとしたが、桶狭間において織田信長に討たれてしまった駿河(静岡)の大名。公家のボンボンというイメージが付いてしまっているが、武田信玄や北条氏康なども苦しめた戦上手の大名でもあります。「東海一の弓取り」の異名も持っています。しかし貴族出身であることから政治や教養が優れていたようです。
まずはパート1でした。