日本では、明治、大正、昭和、平成、令和の5つの元号をまたいでいれば長生きと言えるでしょう。しかしもう少し前には11もの元号を生きた人をご存知でしょうか。それも大名、つまりお殿様です。一体誰なのでしょうか。
浅野長勲(あさの ながこと)という人物をご存知でしょうか。知らないという方も多いかもしれません。しかし浅野家ならどこかで聞き覚えがあるという方もおられるでしょう。戦国武将に浅野長政という人がいました。この人は豊臣秀吉の相婿にあたる人物です。簡単に言えば、豊臣秀吉の妻(ねね)と浅野長政の妻(やや)が姉妹同士の関係です。その浅野家が治める広島藩12代藩主が今回の主人公の浅野長勲です。
長勲が生まれたのが、江戸時代後期の天保13年7月23日(1842年8月28日)になります。1869年に長勲が広島藩の藩主(大名)になったとたんに版籍奉還の上奏文が出されたため、それに倣って広島藩も版籍奉還を行います。そのため長勲は藩主から広島藩知事になります。ちなみに広島藩ということで、鯉城こと広島城で生活していました。
その後、長勲は東京に移り住み精力的に活動します。彼は日本で初めて洋紙の製造業を手掛けることになります。最初は需要がありませんでしたが、洋紙を作り続けました。その後、明治政府が紙幣を発行させるようになると洋紙の需要が一気に伸び、注文が殺到しています。先見の明がありますね。
また、第15銀行の頭取を務めたり、「日本」と題した新聞の発行にも携わっています。それだけでなく、長勲はイタリア公使にもなっており、欧州からの帰国時にはニューヨークに寄って電車に乗っています。
もともとは一藩の大名でしたが、彼の功績を見るとむしろ事業家のイメージの方が強いかもしれませんね。江戸時代から明治時代への転換期を生き抜いて、持ち前の行動力と教養をいかんなく発揮して明治以降の日本を支えているのが分かります。
さて、長勲は天保13年に生まれて、昭和12年まで生きています。94歳で亡くなっていますので当時にしてはとても長生きです。では元号を幾つ生きてきたのでしょうか。
①天保 ②弘化 ③嘉永 ④安政 ⑤万延 ⑥文久 ⑦元治 ⑧慶応 ⑨明治 ⑩大正 ⑪昭和
このように11もの元号を生きましたので、長勲は「生きた明治維新史」や「最後のお殿様」とも呼ばれています。