日本で最も古い動物園は、上野動物園です。1882年(明治15年)に開業している歴史ある動物園です。もともとは農商務省所管の博物館付属施設として開園しましたが、1886年(明治19年)には宮内省の所管となったことで外国産の珍しい動物を展示するようになります。この時にトラやゾウがやって来ます。
日清戦争における戦利品としてフタコブラクダがやって来ます。その後オランウータン、ハリモグラ、フクロギツネ、ウォンバットも追加されました。1902年にはドイツの動物園からライオン、ホッキョクグマ、ダチョウなど12種類を購入し、ライオンはたいへんな人気だったようです。5年後にはキリンもやって来ました。
1924年には皇太子殿下(昭和天皇)ご成婚を記念し、東京都に下賜され上野恩賜公園動物園に名前を変えます。当時の日本には動物園が多くはなかったので、たくさんの人が珍しい動物を見に訪れたとのことです。都会のオアシスとして多くの市民に愛される動物園となりました。
しかし、戦争の足跡が近づいてくるようになります。太平洋戦争の始まりです。1941年に日本軍が真珠湾攻撃(ハワイにあるアメリカ軍の真珠湾軍港を奇襲)をします。これを機に、日本全体が戦時体制に入っていきます。
最初は奇襲に成功し楽観視していましたが、次第にアメリカも本気を出してきて、じわりじわりと追い詰められていきます。人が食べる食料すら乏しくなっていく状況の中で、「動物たちが人間の何倍もの食料を食べるのはどうなんだ」という話になります。また空襲を受けた際に檻から脱走してしまったら人間に危害が加わるかもしれないという不安もありました。
そのため、東京都長官の命令により、動物たちが処分されることになりました。クマ、ライオン、トラなどの猛獣に加えて、動物園で人気者だったゾウも殺されました。象のジョン、ワンリー、トンキーの3頭は毒入りのエサを食べなかったので、結局は餓死による処分方法が採用されることになりました。飼育員たちの苦悩たるや推し量ることは出来ません。上野動物園のほか、東山動物園、京都市動物園、天王寺動物園、井の頭自然文化園内の動物園でも動物たちが処分されています。
太平洋戦争が終結した後の上野動物園は再び歩みを始めます。「 “Zoo is the Peace”(動物園は平和そのもの)」を合言葉に、戦争で疲れた人々に憩いを与えていきました。現在でもパンダを筆頭に多くの動物たちが、私達人間に喜びと楽しさをもたらしてくれているのです。