都営三田線という路線をご存知でしょうか。東京のど真ん中を走る電車にしてはマイナーな路線といえるかもしれません(板橋区民以外は)。南は目黒から日比谷や大手町を抜け板橋区方面に伸びている路線です。アルファベットの「C」の逆のような形の路線です。
都営三田線は戦前より計画されてた路線ですが、開業したのは1968年になってからで、巣鴨駅から志村駅(現在の高島平駅)の10.4kmそこそこの長さを開業させます。その後、三田線は巣鴨から南に延伸していきます。1972年には日比谷、1973年には三田まで延ばしました。
1976年に高島平から西高島平までの1.5kmの区間が開業します。そして1978年にようやく現在の名称である「三田線」に変更しました。最後に残された区間の三田から目黒間は2000年に開通します。三田線が最初に走り出してから30年以上も後になって、ようやく計画されていた全線を開業させるに至ったのです。と、ここまではよくある話ですが、ここまで来るのに三田線は迷走しっぱなしでした。どういう事でしょうか。
現在の三田線は目黒駅で東急目黒線に乗り入れていますが、開業前の計画段階では五反田駅から東急池上線に、板橋方面は東武東上線に乗り入れる計画でした。どちらにも乗り入れが出来るように東急と東武の線路幅(1067㎜)にあわせたのですがにもかかわらず東急池上線&東武東上線との相互乗り入れは破断してしまいます。
東急側の理由は、距離的にも時間的にも乗客の利便増進に資するものではないという経営判断によるもので、東部側の理由は、三田線が都心へ向けて大きく迂回するルートであることや、池袋駅に乗り入れないため、東武百貨店をはじめとした池袋地区の開発に資さず、東上線にとっての線増効果をもたらさないと考えたためです。何とも自分勝手な理由なので、東急・東武に対して都交通局は抗議を行っていますが、結局は両社の意向に押し切られてしまいました。
ちなみに三田線の線路幅は1067㎜ですが、都営新宿線は乗り入れ先である京王電鉄にあわせたため1372mmで建設されました。都営浅草線は1435㎜で、乗り入れ先の京浜急行や京成電鉄にあわせています。大江戸線も1435㎜です。車両を統一規格にして製造する方がコスト減になりますが、3つの軌道を持っていますので経済面としてはよろしくないですね。
そんなこんなで迷走していた三田線ですが、1972年に入居が始まった高島平団地によって希望が見え始めます。団地が造成されたことによって、住民のアクセスを確保する必要がでてきたのです。西高島平・新高島平・高島平・西台などの駅には多くの都営住宅や公団住宅といった大規模な団地があり、沿線の至るところに立っているのが特徴です。マイナーな路線ですが板橋区民には無くてはならない足となっているのです。