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江戸時代から識字率はトップクラスだったのはなぜ?

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識字とは文字を読み書きし、理解できる能力のことです。日本人の識字率はほぼ100%なので、生活するうえで支障はほとんどありません。しかし文字を読み書きできないとどうなるでしょうか。病気になってお医者さんから薬を出されても処方箋が理解できません。また、書類の内容が分からないので詐欺に遭う可能性が高くなります。街中の標識を理解できないので命の危険も出てきます。事務仕事も難しいでしょう。このように文字の読み書きが出来ることは生活するうえでとても大事になります。

 

世界中の5人に1人は文字の読み書きが出来ません。特にアフリカ、中東、南アジアではまだまだ読み書きが出来ない人が多数います。日本は今だけでなく江戸時代から読み書きが出来る人が多かったようです。なんで200年近く前から読み書きが出来たのでしょうか。

 

江戸時代に統計がきちんととれていたとは思いませんが、識字率は世界でもトップレベルだったと言われています。江戸時代の人々はよく本を読んだと言われており、「洒落本」や「滑稽本」などの小説や、絵が入った娯楽本など庶民にも分かりやすい本が出回っていました。これらは貸本屋を通じて多くの人に読まれていて、庶民の文字に対する知的欲求は増していったのです。

 

裏を返せば、このような本を読めるほど識字率が高かったことがわかります。なぜ人々は読み書きが出来たのでしょうか。それは寺子屋の存在です。寺子屋は庶民の教育施設で、そこでは読み書きだけでなく、そろばんや手紙の書き方なども教えていました。また、レベルにあわせて儒学や歴史や地理なども教えていたそうです。庶民も農民の多くも寺子屋に通っていたため、江戸時代末期の識字率は70%を超えていたと言われています。

 

当時の寺子屋の設置数を見ると、1位は現在の長野県(松代藩・上田藩・小諸藩)で1341施設、2位は現在の山口県(長州藩)で1305施設、3位は現在の岡山県(岡山藩・備中松山藩・津山藩)で1031施設、となっています。

 

1位の長野県の松本は「学都」とも呼ばれるほど教育には熱心な場所だったので、寺子屋の数も多いのも頷けます。2位の長州藩は幕末に多くの志士を輩出した藩でもあります。3位の岡山県には、日本最古の庶民学校といわれる閑谷(しずたに)学校があった場所です。

 

寺子屋のほかにも、藩が運営していた藩校や、民間の教育施設である私塾などもありました。このように教育機関の充実によって江戸時代の日本人の識字率はトップレベルだったのかもしれません。また、日本は島国だったため他国の侵略もなく、日本語をメインで覚えれば良いというメリットもありました。そのため識字率が良かったのでしょう。

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