貴殿のふとした疑問に答えるブログ

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むかしは江戸に向かうのに、東海道ではなく距離の長い中山道を使ったの?

中山道にある奈良井宿

東京から大阪方面に向かう際、鉄道であれば東海道新幹線。車での移動であれば東名高速もしくは新東名高速を使います。それが一番早いからです。しかし、江戸時代においてはもちろん東海道も整備され使われましたが、今の長野県や群馬県などを通って江戸に向かう中山道も頻繁に使われていました。なぜ東海道より距離の長い中山道を使ったのでしょうか。

 

東海道も中山道も江戸と上方を結ぶ道、というよりかは周辺地域への連絡道という感じでした。しかし主要街道だけあって道中には町が形成され、多くの宿場も作られていきます。では東海道と中山道の何が違うかというと、それは地形です。

 

中山道はとにかく山が多い区間を通ることになります。江戸から京都までは約526.3 kmです。江戸を出ると高崎までは関東平野を通りますが、そこからは碓氷峠を通り軽井沢まで上ります。そして幾つかの峠を越えると諏訪湖にたどり着きます。こんどは木曽路を歩き、岐阜にたどり着きます。そして琵琶湖の方に向かい京都に到着します。

写真はWikipediaから参照 中山道ルート

中山道は山道であるため、かなりのアップダウンがあり、冬場は寒さも厳しく雪との戦いもありました。降雪時には歩ける距離も限られていたため宿場の数も東海道より多くなっています。

 

東海道は海沿いを通るルートとなっています。名古屋までは東海道新幹線と同じようなルートですが、その後は岐阜ではなく三重県の鈴鹿峠を越えて滋賀、京都に向かいます。東海道の方がアップダウンは少なく、距離も490kmと中山道よりも短いです。どう考えてもこっちのルートの方が良いと感じてしまいます。

写真はWikipediaから参照 東海道ルート

しかし東海道ルートには大きな障壁がたくさんあります。それは川です。徳川幕府は防衛の理由で酒匂川、興津川、安倍川、大井川の河川には橋を掛けませんでした。加えて渡船さえも禁止しました。川を渡る際には徒歩で行くか、お金を払って業者におぶってもらったりして渡ったようです。大雨が降ると川を渡ることができず、足止めを食らいました。ですから東海道ルートは時間が読めなかったり、宿代がかさむなど不確定な要素が大きかったのです。

 

結果、多くの人は東海道よりも中山道を選ぶことになりました。江戸末期には皇女和宮が江戸に向かった際には、安全性と日程が読める中山道ルートを選んでいます。むかしは今と違って大変な旅をしていたんですね。

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