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赤穂事件で唯一、吉良上野介の味方をする地域ってどこ?

東京本所(ほんじょ)にある吉良邸跡

江戸時代の1702年、赤穂藩浪士47人が主君でもあった浅野内匠頭の仇討ちのために吉良上野介の屋敷に討ち入った事件を赤穂事件と言います。義理人情に篤い日本人はこの仇討ちを良しとし、歌舞伎などで繰り返し上演されました。事件から320年経っても、暮れになるとテレビで放映されていますね。このように多くの日本人が赤穂藩士を応援する中、唯一吉良上野介を応援する自治体があります。どこでしょうか。

 

それは愛知県西尾市吉良町です。名前の通り、吉良上野介の領地があったところです。吉良上野介は悪役のイメージがついていますが、吉良町ではそうは思っていません。なぜなら、吉良上野介は地元では善政を行なっていたからです。

 

江戸時代、吉良町ではたびたび洪水が起こり、農民たちは年貢を納めるのに苦労していました。そんななか、吉良上野介は年貢を減免したり、堤を作るなどして農民たちを助けました。当時、農民のことを考えた政治を行なう人は少なかったので、吉良町はとても恵まれていました。なので尊敬されていたのです。

 

その吉良上野介にいじめられたという理由で、赤穂藩士の浅野内匠頭によって江戸城で切り付けられ、大きなけがを負ってしまいます。浅野内匠頭はその後切腹して終わりかと思いきや、その後、大石内蔵助を含む家臣47人が江戸の吉良邸に攻め込んできて首をはねてしまったのです。吉良町として見れば、地元の名君が殺されたのに、なぜか悪役になっていることが許せず、大いに不満を募らせました。

 

その感情が現代の吉良町の人々にも残っており、忠臣蔵のストーリーを良く思っていない人たちは少なからず存在します。テレビドラマの視聴率も吉良町は0%と噂されています。真偽は分かりませんが…。1990年代後半に吉良邸の表門の映画セットが赤穂市(兵庫県)で展示されると、吉良町から抗議の声があがったためセットが撤去されています。

 

赤穂事件がある前から、赤穂と吉良は製塩業で対立していました。吉良上野介は、赤穂の塩の内情を探るために密偵を遣わしましたが、見つかって殺されてしまいました。これがきっかけとなって赤穂と吉良は対立するようになり、その後赤穂事件に発展していきます。

 

300年以上続いている憎しみは少しづつ和らいでいるようで、吉良町が西尾市に編入されたことで、西尾市と赤穂市の交流がなされるようになってきました。これを機に、わだかまりが解ける日が来るといいですね。

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