日本で一番最初に営業運転した新幹線と言えば1964年の東海道新幹線です。その後、日本各地に新幹線網が張り巡らされてきました。しかし東海道新幹線よりも前に東京から中国の首都北京まで新幹線を走らそうとする計画がありました。それが幻の新幹線計画です。実現はしませんでしたが、これはどんな計画だったのでしょうか。
日中戦争が起こっていた1937年まで話は遡ります。中国と戦争をしていた日本は、大量の人と物資を運ぶ必要がありました。しかし需要は大きかったのに、供給が追い付いていませんでした。そのため高速鉄道で大量の物資を運ぶ弾丸列車計画が持ち上がります。それが幻の新幹線計画です。
どんなルートだったのでしょうか。東京を起点として名古屋、大阪、国内の終着駅は山口県の下関としました。ここまでは東海道新幹線と山陽新幹線のルートと同じですね。ここからのルートというと対馬を経由して、釜山(韓国)、京城(韓国:現ソウル)、現在の北朝鮮も通過し、奉天(中国:遼寧省瀋陽)、ここから二手に分かれ一つは満州国の首都である新京(中国:吉林省長春)、もうひとつは北京へとつながる壮大な計画でした。速度は200㎞、下関までは9時間、新京までは36時間、北京までは50時間で行くことが出来ました。
ここまで規模が大きいとたくさんの壁が立ちはだかります。
①狭軌か広軌か
日本のレールはイギリスに合わせて狭軌が用いられてきましたが、国際的には広軌が国際標準でした。
②総工費の問題
総工費全体の24%がトンネル工事に費やされます。今から90年近く前ですので、トンネルを掘るのも簡単なことではなかったでしょう。現に新丹那トンネルに7年半もの工事期間と莫大な費用がかかっています。
③日本と朝鮮をどう結ぶか
日本と朝鮮は海で隔たれています。最初は連絡船という形でつなげようと考えていましたが、非効率ですし時間もかかるということから海底トンネルでつなげようという結果になりました。
④車両の問題
最初は動力分散方式による列車を考えていました。動力分散方式とは、列車を編成する車両のうち多数の車両が動力(モーターなど)を持つ方式のことです。現在の東海道新幹線はこれにあたります。しかし戦時中ということもあり、変電所が攻撃されると電車が動かなくなってしまうというデメリットがありますのでボツになりました。そのため先頭の蒸気機関車が動力を持たない車両を引っ張る、動力集中方式を採用します。しかしデメリットとしてトンネル内で煙が充満してしまう点が挙げられました。
いろいろな問題を抱えていましたが、1954年の開通を目指して工事は進められていきました。しかし戦局の悪化によって莫大な費用と労力がかかる弾丸列車計画に疑問を持つ声が上がり始めました。歴史が知る通り、1945年に太平洋戦争で日本は戦争に負け、海外領土も無くなったことからこの計画も消えてしまいました。ですから幻の新幹線計画と言われています。しかしこの計画がもとで、買収された用地、技術、建設されたトンネルは現在の新幹線に生かされています。この計画も無駄ではなかったということですね。