駅名の変更はたびたびありますが、6回も名前が変わる駅となるとそうそうありません。その駅の名前は関大前駅です。阪急電鉄千里線の駅で、名前の通り関西大学千里山キャンパスの最寄り駅になっています。関大前駅はなぜ6度も駅名を変える必要があったのでしょうか。その経緯を見ていきましょう。
関大前駅は阪急千里線の前身である北大阪電気鉄道の駅として「花壇前」駅として1921年10月に開業しました。桃の花が美しいことで人気を博していた千里山花壇の最寄り駅だったため花壇前という駅名が付けられました。
その後、千里山花壇は遊具を加えて遊園地になります。それに伴い1938年に花壇前から「千里山遊園」駅に駅名が変わりました。当時の大阪近辺で唯一の遊園地だったこともあり行楽客でにぎわったそうです。
しかし数年後日本は太平洋戦争に突入します。国が贅沢を禁止し、国民が総決起しなければならない状況の中で、遊園地で遊ぶとはどういうことかと軍からの圧力があり、駅名も変更することになります。1943年に千里山遊園駅から「千里山厚生園」駅に変わることになります。
日本が戦争で負けると軍の影響力がなくなり、1946年に再び「千里山遊園」駅に名前を戻すことになります。ここからもう一度再出発という感じになりそうですが、戦争の影響もあり市民が娯楽を楽しむゆとりもなくなってしまい、再びお客で賑わうことはありませんでした。その結果、千里山遊園は閉園となりました。
遊園地の跡地に女子高建設の計画が浮上します。この段階で千里山遊園駅から「女子学院前」駅に駅名を変更してしまいます。1950年のことです。しかしこの誘致計画は頓挫します。近くの関西大学が女学院の進出を阻止するため遊園地の跡地を買収してしまったからです。そのため女学院前という駅名は意味の無いものとなってしまいました。
女学院前駅という駅名は先走った感が否めませんね。そのため1951年に駅名を「花壇町」駅に改名することになります。
この花壇町駅と隣の大学前駅が約400メートルしか離れていなかったこともあり、両駅の中間に駅が設けられ、それが現在の阪急千里線の「関大前」駅となりました。1964年のことです。
6度も駅名を変えるという紆余曲折のあった駅ですが、ようやく関大前という名称で落ち着いたようですね。もう一度すべての駅を振り返ってみましょう。最初は花壇前駅でしたが、その後6回変更します。
最初:花壇前駅
①千里山遊園駅
②千里山厚生園駅
③千里山遊園駅
④女子学院前駅
⑤花壇町駅
⑥関大前駅