貴殿のふとした疑問に答えるブログ

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なんで東京って西と東で格差があるの?

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京成電鉄

東京で住みたい街はどこ?と聞けば、多くの人が西側の地域を選びます。JR中央線、小田急線、京王線、東急線沿線などです。確かにこれらの沿線にはブランドイメージがありますね。反対にJR総武線、京成線、東武線などの東側の沿線は少し見劣りしてしまうかもしれません。なんでこんなにも東西の格差が生じているのでしょうか。これには東と西の格差には土地が関係しています。

 

東京には真ん中に皇居があります。昔は江戸城でしたが、それを囲むように大名屋敷や武家屋敷、町民の家々が立ち並んでいました。東京の城東地区(中央区、台東区、墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区)は、江戸城からも近いため旗本や御家人が住んでいました。例を挙げると、現在の御徒町駅は下級武士(徒士)の長屋がたくさんあったことから今の町名の由来となっています。

 

明治や大正時代になると、地方から働き口を求めて東京の東側に人が集まってきました。なぜなら当時の西側はほとんど開発がされておらず、いわばド田舎だったので便利な東側に住んでいたのです。西側は土地の多くが農耕地だったので、鉄道会社はド田舎の土地を安価で購入し、一から沿線の開発を行うことが出来ました。それが東急を始めとする私鉄です。

 

東側でも東武や京成が鉄道を設けましたが、すでに下町には多くの住宅があったため、まっすぐの線路を敷くことが出来ませんでした。駅の設置も多くしたため速達性という面でも西側の私鉄には敵いません。最初から人が住んでいるところに鉄道を通せば収入は安定するでしょうが、その後の開発がしづらく、土地の購入も難しいものとなりました。その点、東急や小田急などは開発が進むまで収入は少ないかもしれませんが、街と一体化した開発が可能となり、多くの人がやってくることで収入もブランドイメージも得られるようになっていきました。

 

対して、東側(下町)は関東大震災や東京大空襲で大きな被害を受け、工場も多かったことから公害にも悩まされました。このようなネガティブなイメージが定着してしまったため、富裕層の多くが西側に引っ越していきました。これが格差を助長することになっていきます。

 

開発が進まないと人が来ませんし、沿線のブランド力も向上しません。つまり、引っ越してくる人が多ければ税収も上がり、税収が増えれば街の開発が進み、街の開発が進めば新たに人がやってくる、という好循環が生まれるのです。それゆえ多くの人が西側に家を持ちたいと考えるようになったのです。

 

西と東の沿線格差はこういった理由があったため広がっていったのです。

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