命はとても大事なもので、多くの方は自分の命を大切にします。しかし時には使命感ゆえに自分の命を惜しまずに与える人がいます。それが今回紹介する男性の話です。この男性は若くして乗客の命を救うために殉職しました。どんな経緯でそうなったのでしょうか。
時代は70年近く前になります。戦後間もない1947年(昭和22)、当時21歳だった鬼塚道男(おにづかみちお)さんは長崎市でバスの車掌をやっていました。木炭バスの車内は満員に近い乗客を乗せており、午前8時ごろに勾配のきつさから「地獄坂」と呼ばれていた打坂という坂を上っていました。峠の頂上まで数メートルというところで、突然エンジンが停止し、運転士はあわててブレーキをかけるも、ブレーキは故障しており、そのため多くの乗客を乗せていた車体は少しづつバックし始めていきました。
ここで疑問に思うのが、エンジンが停止したり、ブレーキが故障するということはあり得るのだろうか、と感じることでしょう。しかし当時の木炭バスはいきなりエンジンが止まったり、ブレーキが故障してしまうというのはよくあったようです(恐ろしいですね…)。車掌だった鬼塚さんはマニュアルに従って、バスから降りて近くにあった大きな石を車輪の下に敷いてバスを止めようとしました。
ところが、地獄坂と呼ばれるほどの勾配のきつさと、30人近くの乗車していたバスは加速し、敷いていた石を跳ね飛ばしてしまいました。坂の下は崖となっていて、あと少しで崖に転落してしまいます。その時、とっさの判断で鬼塚車掌は後部車輪の下に飛び込んで、自らの体を車輪止めにしたのです。バスは間一髪のところで停車し、多くの命が救われたのでした。鬼塚車掌は、運転士とかけつけた同僚が病院に運びましたが、亡くなってしまいました。
鬼塚車掌が働いていた長崎自動車(長崎バス)では、殉職した鬼塚車掌の勇気ある行動を讃えるとともに、交通事故の根絶を祈って1974年に事故現場近くの打坂地蔵尊を建立しました。
今回は、自分の命を犠牲にしてバスを止めた勇気ある青年の話でした。使命感がそのような行動をとらせたのでしょう。自分ならそのような行動をとれるだろうかと考えてしまいますね。ちなみにこの地蔵尊はドン・キホーテの目の前にぽつんとあります。