今の若い人にアンカレッジ空港といってもほとんどの方は分からないでしょう。アンカレッジ国際空港はアメリカのアラスカ州にある空港で、かつてアメリカ本土やヨーロッパに行くための経由地となっていた空港で日本人には馴染みのあるところです。1950年代になると日本も海外に飛行機を飛ばすようになります。
ヨーロッパにも直行便を出すようになりましたが、当時は東西冷戦の影響でソビエト連邦の領空を飛ぶことは出来ませんでした。そのためヨーロッパに行くためにぐるりと迂回しなければならなかったのです。当時の主力機がダグラスDC-7C、ダグラスDC-8、ロッキードのコンステレーションは、今のように直行でヨーロッパまで行く航続性能はありませんでした。
そのため東京を飛び立つと香港、バンコク(タイ)、ニューデリーまたはボンベイ(インド)、カラチ(パキスタン)またはテヘラン(イラン)、ベイルート(レバノン)、など各地で給油をしてようやくヨーロッパに着くという感じでした。これが南回りルートです。
北回りルートは、南回りルートより経由地が少なく、到着時間も早かったので値段が高くなるという点がありますが、アラスカのアンカレッジ空港での給油だけでヨーロッパに向かうことができました。これは北極圏の上を通るルートです。
1970年代にはヨーロッパに向かう観光客が増え、アンカレッジ空港では多くの日本人が給油の待ち時間で免税店に行ったり、立ち食いうどんなどを食べていました。アメリカなのにうどん出汁の匂いがするのは不思議ですね。それくらい日本人が多かったのです。
しかし時代は進み、ソ連がシベリア上空の飛行を許可するようになってからは、日本の航空会社もヨーロッパへの最短距離であるソ連上空を飛行するようになります。これがシベリアルートで現在に至っています。そのため定期便としてアンカレッジ空港を使うことはなくなりました。
その後のアンカレッジ空港は貨物空港になっていきます。北半球であれば主要都市に3~9時間で到達できる好立地にあり、2020年の貨物取扱量は、メンフィス国際空港(アメリカ)、香港国際空港、上海国際空港に続く4位となっています。旅客の方は国内線が主体で、昔のような外国人旅行客であふれることはなくなりました。
そんな貨物空港に変わったアンカレッジ空港でしたが、2022年にロシアがウクライナに対して戦争を仕掛けました。そのため西側各国がロシアの上空を飛ばなくなり、日本においても、にわかにアンカレッジ空港の名前が出てくるようになってきたのです。今後のウクライナ情勢を見つつ、日本の航空会社もどんなルートでヨーロッパまで飛ぶのか注視したいですね。もしかしたらアンカレッジ空港が昔のように旅行客でにぎわう時が来るかもしれないからです。