貴殿のふとした疑問に答えるブログ

ふと疑問に思う「なぜ?」「どうして?」「〇〇って何?」に答えるブログです。

全線開通からたった11年で廃止 どこの路線?

f:id:pointia:20220407182417j:plain

写真はwikipediaから参照 白糠線でも走っていたキハ56

1964年といえば何を思い浮かべますか。多くの人は東京オリンピックと言うかもしれませんし、鉄道好きの方なら東海道新幹線開業と答えるかもしれません。実はその年に、国鉄は初めて赤字を計上しました。それまでは鉄道が人々の足となっていましたが、次第に自動車が普及していき、鉄道の利用者は減っていったのです。

 

国鉄は赤字を減らすために値上げを行ないますが、それによって人々はますます鉄道から離れていき国鉄の経営は悪化していきます。経営が行き詰った結果、1980年に「国鉄再建法」を制定します。つまり、業績の悪い赤字ローカル線を廃止することに決めたのです。採算の取れる見込みのない路線を「地方交通線」、それ以上に採算の取れない路線は「特定地方交通線」に指定しました。

 

特定地方交通線になる目安は利用者が1日当たり4,000人未満でした。その第一号となったのが「白糠線」です。どこを走っていたかというと、北海道の釧路から少し西に行った白糠駅(根室本線)から走っていた路線です。終点の北進駅までの33.1kmを結んでいました。旅客輸送というよりも、沿線にあった上茶路炭鉱からの石炭輸送と、森林開発が主な目的で作られた路線でした。

 

1964年に白糠~上茶路間、1972年に上茶路~北進駅まで延伸し全通しました。ですから昔からある路線ではなく、かなり新しい路線ということになります。しかし全通してから11年後の1983年に廃止されました。

 

石炭輸送が主な目的でしたが、1970年に上茶路炭鉱が閉山したため石炭を運ぶことがなくなります。加えて沿線の人口は激減していき白糠線の乗客も少なくなっていったのです。白糠線は国鉄一の赤字路線となってしまいました。どのくらいの利用者だったかというと、1979年(昭和54年)度までの時点で、1日123人しか利用者がいない有様でした。

 

廃止直前の営業係数は3077だったそうです。営業係数とは100円の収入を得るのに3077円かかるという意味です。走らせる分だけ多くのお金が出ていったということです。そりゃ真っ先に廃止になりますね…

 

国鉄時代は日本各地に多くの線路が張り巡らされていましたが、赤字路線は廃止され現在に至っています。日本は今後人口が減少しますし、コロナの影響で利用者が減っていることを考えると、少しづつ廃止路線は増えていくのかもしれませんね。記念として乗るのであれば今のうちです。

にほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
にほんブログ村