貴殿のふとした疑問に答えるブログ

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鉄道における日本初のループ線ってどこ? なぜ作られたの?

写真はWikipedia参照 ループ線

ループ線というのをご存知でしょうか。線路をらせん状に敷設した線形のことです。簡単に言えば、ぐるっと一周回して急勾配の区間を登っていくようにしたものです。鉄道は車に比べて急勾配に弱い乗り物で、どうしても山を越えなければならない区間はトンネルを掘るか、ジグザグに登っていくスイッチバックか、らせん状に登っていくループ線にするかしかありません。

 

ループ線にすると線路の距離は長くなりますが、その距離に比例して勾配は緩やかになり、本来なら困難な急斜面も登ることができるようになります。最近の線路ではループ線を見なくなりましたが、長大なトンネルを掘る技術が無かった時代には欠かせない方法だったのです。

 

では日本初のループ線はどこなのでしょうか。それは、九州にある肥薩線です。熊本県の八代駅と鹿児島県の隼人駅を結ぶ124.2kmの路線で、ループ線は肥薩線の大畑~矢岳間に造られました。大畑駅にはループ線の中にスイッチバックも設けられている珍しい駅となっています。

肥薩線は1909年に開業した路線で、当時は蒸気機関車が走っていて、大畑駅には蒸気機関車のために設けられた給水所がありました。なぜなら人吉駅から連続する勾配を登って来ているため、たった10km強の長さであっても、1トンもの石炭を消費し、蒸気を発生させるために大量の水を使っていたのです。

 

大畑駅で水を補給しておかないと、さらに険しい矢岳駅への勾配を登ることができません。給水や乗客を乗り降りさせるためには平坦にする必要がありますので、大畑駅にはスイッチバックを作ることで給水や停車場を作れるようにしました。そして給水をし、準備が整ったのちに矢岳駅に向かって機関車を走らせていったのです。そして大畑駅を出ると、肥薩線で最も標高の高い矢岳駅に行くためにループ線を登っていくのです。

 

肥薩線は、昔は鹿児島本線で重要な路線を担っていたのですが、海岸沿いに新しい路線が建設されたため、路線名を鹿児島本線から肥薩線に変更し、本線から「支線」に格下げとなりました。加えて、海線の開通と共に、肥薩線の利用者は激減し、今でも集落の過疎化が進んで利用者が減っています。しかし、JR九州は観光列車「いさぶろう・しんぺい」を走らせるなどして、ループ線やスイッチバックを観光の目玉としているのです。

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