埼玉県川越市は観光地として有名な場所で、小江戸とも呼ばれています。古い町並みや駄菓子などを楽しむため多くの人が訪れる場所となっています。そして有名な商品にさつま芋があります。さつま芋を使った和菓子や洋菓子が売られています。さつま芋を使った商品が多い街は川越だけでなく東京都浅草もさつま芋を使った商品を扱う店が多いです。なぜ川越と浅草はさつま芋商品が多いことで知られているのでしょうか。
川越は関東ローム層からなる武蔵野台地にある街で、さつま芋を栽培するには適した土地でした。江戸時代にさつま芋の栽培が行われ、川越だけでなく所沢・狭山・三芳周辺でも作られていました。周囲で獲れたさつま芋は川越に集められます。なぜなら川越には新河岸川という川が流れていて、舟運基地があったからです。川越を流れている新河岸川から下流に向かうと隅田川に入り、江戸にたどり着くことができるのです。
当時は陸で物資を運ぶよりも、舟を使った方が多くの荷物を早く届けることができました。川越を午後の3時に出発すれば次の日の昼前には浅草にたどり着きました。そのため鉄道が開通する明治時代までこの舟運ルートは用いられています。川越のさつま芋も舟に乗って江戸まで運ばれてきたのです。
明治時代の浅草は、日本橋に一番近い船着き場だったため、さつま芋だけでなく北関東から多くの特産品が舟で運ばれてきました。このように浅草は交通の要衝となったため多くの人で賑わい、必然的に街には特産品を扱うお店も増えていきます。さつまいも芋を扱う問屋ができ、それによりさつま芋を扱った商品が作られるようになったのです。最盛期には70件もの芋問屋があったと言われています。今でもさつま芋を使った和菓子やスイーツを扱う店が多いです。
余談ですが、さつま芋といえばその名の通り薩摩(鹿児島県)が有名です。つまり沖縄や九州で栽培されていました。その後関東にやって来ます。1732年の享保の大飢饉のさい、徳川吉宗が薩摩藩から苗を取り寄せて関東に植え始めたのがきっかけです。さつま芋は比較的安価で、腹の足しになるので庶民に人気の野菜になりました。
その後に起こった太平洋戦争の時にも食糧不足が生じました。食べるものがなかった当時、さつま芋は大活躍します。さつま芋は痩せた土地でも育ちましたし、気候変動にも比較的強く、栽培にはあまり手間がかからず、狭い土地でも作れたことから、多くの人がこぞってさつま芋を栽培したのです。それにより人々は飢えをしのぐことができました。美味しいうえに腹の足しになるという優秀な野菜なんですね。