日本史の授業で必ず出てくるワードの一つに参勤交代があります。参勤交代とは、江戸時代に各地の大名が江戸と自分の領地を交互に住んでいた制度です。これは、幕府が大名の力を抑えるために考えられたものでしたが、大名にとってはどんなものだったのでしょうか?
まず、参勤交代はとてもお金がかかりました。大名は江戸と自国の領地の間を何百人もの家臣や荷物を連れて行き来しなければなりませんでした。大名の石高にもよりますが、1万石大名なら約50人、20万石以上なら約450人、加賀百万石で有名な前田家は最大4000人の時もあったそうです。まさしく大名行列で。費用を捻出するのは大変なことでした。そして江戸に着いたら豪華な屋敷を構えて、幕府や他の大名との付き合いもしなければなりません。体力的、精神的、金銭的にきつかったことでしょう。
時には参勤交代ができないこともありました。自国の領内で地震や飢饉などの災禍に見舞われた場合や、大名が病気になった場合などです。その場合は参勤交代の時期がずらされたり、免除されたりしました。
次に、参勤交代はとても時間がかかりました。江戸と領地の距離にもよりますが、平均して往復に数ヶ月かかりました。長旅は体力的にも堪えますね。それだけでなく、参勤交代の期間、大名は自分の領地の政治や経済や民情などに目を向けることができませんでした。また、家族や親族とも離れ離れになりました。これらのことは大名の心身にも影響していきます。
しかし、参勤交代には良い面もありました。江戸で学ぶことができたことです。江戸は当時日本最大の都市であり、文化や技術や知識が集まっていました。大名はそこでさまざまなことを学び、自分の領地に持ち帰ることができたのです。例えば、儒学や医学や軍学などです。また、幕府や他の大名との交流も深めることができました。
参勤交代では、大名が江戸にいる間は家臣や代官が領地を治めていました。これは、彼らに自主性や責任感を与えることになりました。また、大名が不在の間は領民も自由に活動することができました。例えば、商業や農業や工芸などです。これらのことは領地の発展に寄与しました。
以上のように、参勤交代は各地の大名にとってメリットもデメリットもあった制度だったと言えます。しかし、この制度は幕末に廃止されました。徳川幕府に力がなくなっていったからです。参勤交代は各地の大名の資金と力を削ぐための取り決めでしたが、先に徳川幕府の方が滅亡してしまったのは何だか皮肉なことですね。